北岡伸一とは? わかりやすく解説

北岡伸一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 23:37 UTC 版)

北岡伸一
人物情報
生誕 (1948-04-20) 1948年4月20日(76歳)
日本奈良県吉野郡吉野町
出身校 東京大学(学士、修士、博士)
配偶者 鈴木りえこ
学問
研究分野 日本政治史、日本外交史、政軍関係政党、政治指導、日米関係国連
研究機関 立教大学
東京大学
学位 法学博士(東京大学、1976年)
主要な作品日本陸軍と大陸政策
清沢洌
自民党
独立自尊
影響を受けた人物 佐藤誠三郎林茂三谷太一郎
主な受賞歴 吉田茂賞(1986年)
サントリー学芸賞(1987年)
読売論壇賞(1992年)
吉野作造賞(1995年)
紫綬褒章(2011年)
パラグアイ国家功労勲章英語版(2019年)
公式サイト
www.kitaoka.j.u-tokyo.ac.jp
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北岡 伸一(きたおか しんいち、1948年昭和23年〉4月20日 - )は、日本政治学者歴史学者奈良県立大学理事長、政策研究大学院大学客員教授、東京大学名誉教授立教大学名誉教授。学位は法学博士(東京大学・1976年[1]。専門は日本政治外交史

国連次席大使(2004年4月 - 2006年8月)、国際大学学長、国際協力機構(JICA)理事長を歴任。

来歴・人物

奈良県吉野郡吉野町造り酒屋の家に生まれる。祖父と父は共に吉野町長[2]。大叔父は官僚・経済学者の北岡寿逸[3]東大寺学園中学校・高等学校東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、1976年博士課程修了、博士論文「日本陸軍と大陸政策 1906年 - 1918年」により、法学博士取得。

立教大学法学部専任講師、助教授、教授を経て、1997年東京大学法学部教授。2012年3月、東京大学退職、東京大学名誉教授。同年4月より政策研究大学院大学教授に就任。2014年、政策研究大学院大学学長特別補佐・特別教授。2012年10月より2015年9月まで国際大学学長(非常勤)。2011年(平成23年)、紫綬褒章を受章。

イラク戦争については「大量破壊兵器保有」と「北朝鮮対策」を理由として米国によるイラク攻撃を支持する日本国際フォーラムの緊急提言に委員の1人として名を連ねている[4]自衛隊イラク派遣に際しては、サッダーム・フセインの捕捉に伴って治安情勢が安定するという見通しの下に支持した。

2004年(平成16年)4月から2006年(平成18年)9月まで外務省へ出向し日本政府国際連合代表部次席大使としてニューヨークに赴任する。この他にも、長期的な外交戦略検討のために設置された小泉純一郎首相私的諮問機関「対外関係タスクフォース」委員(2001年(平成13年)9月 - 2002年(平成14年)11月)、外務省改革の一環として、過去の外交政策の政策評価を行うため設置された「外交政策評価パネル」座長(2002年(平成14年)8月 - 2003年(平成15年)8月)、日本版国家安全保障会議 (NSC) 設置検討のために設置された「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」委員(2006年(平成18年)11月 - 2007年(平成19年)2月)、日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員(2007年(平成19年)4月 - 2008年(平成20年)8月)、福田康夫首相の私的勉強会「外交政策勉強会」委員(2007年(平成19年)12月 - 2008年(平成20年)9月)などを歴任した。また、「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長(2006年(平成18年)12月1日 - 2009年(平成21年)12月)を務めた。

民主党政権下では防衛計画の大綱に関する関係閣僚会議に参加した。『産経新聞』によると、北岡もこの会議で自衛隊の装備・編成といった専門外の分野に介入し、陸上自衛隊からの批判があったとされる[5]

2013年第2次安倍内閣で「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」委員に再度選ばれた(今次は座長)。集団的自衛権について、最小限度であれば憲法改正せずとも行使可能との立場をとる[6]。さらにその活動範囲について「論理的には地球の裏側まで、極論すれば地球外でも。宇宙だろうがどこだろうが行くかもしれない」[7]。ただし、一方で攻撃された国からの明確な要請がない限り、自衛隊は派遣できないとも主張している[8]

2015年2月19日、菅義偉官房長官は、安倍晋三首相が同年夏に発表する「戦後70年談話」に関する有識者会議のメンバー16人の名簿を発表[注 1]。北岡も同会議のメンバーに選ばれ、座長代理に就任した。安倍首相は過去の「植民地支配」と「侵略」を謝罪した村山富市首相談話の文言を使用しない考えを表明していたが、北岡はそれを踏まえ、同年3月9日に「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と述べた[10]。北岡の見解に対し各方面からの反発が表明され、3月17日には日本会議代表委員の長谷川三千子から産経新聞紙上で名指しで批判される[注 2]。北岡はわずか1か月で変節し、4月10日、「『植民地支配と侵略』や『おわび』の踏襲にこだわる必要はない」と、全く逆の考えを示すに至った[12][注 3]。 同年10月1日付で国際協力機構 (JICA) の理事長に就任。

2022年3月31日付で国際協力機構 (JICA) の理事長を退任。2022年4月より特別顧問。

年譜

受賞

栄典

親族

親族

関係者

著書

単著

共著・編著

共編著

監修・監訳

脚注

注釈

  1. ^ 「戦後70年談話」に関する有識者会議の名称は「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」。メンバー16人の内訳は以下のとおり(50音順)。飯塚恵子岡本行夫川島真、北岡伸一、小島順彦古城佳子白石隆瀬谷ルミ子中西輝政西原正西室泰三羽田正堀義人宮家邦彦山内昌之、山田孝男[9]
  2. ^ 長谷川三千子は北岡を批判する寄稿文でこう述べている。「首相がしきりに強調する『未来志向』ということは、もちろん当然正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆくのに役立つ談話を出したい、ということに違いない。だとすれば、歴史を見る目を著しく歪めてしまうような言葉や、国際社会において、『法の支配』ではなく『力の支配』を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念は、決して使ってはならないのです。国際政治がご専門の北岡さんには改めて、本来の学識者としての良識を発揮していただきたいものです」[11]
  3. ^ 該当の出典は、信頼できる情報ではない。

出典

  1. ^ 政策研究大学院大学オフィシャルホームページ
  2. ^ 「私と司馬さん 歴史の道を走り回った高校時代 北岡伸一さん」『週刊朝日』2012年12月28日号、p.99
  3. ^ 「官より民」で世界めざせ JICA理事長 北岡伸一さん(もっと関西)”. 日本経済新聞 (2018年7月10日). 2021年2月5日閲覧。
  4. ^ 日本国際フォーラム緊急提言委員会 (2003年2月20日). “緊急提言「イラク問題について米国の立場と行動を支持する」”. 日本国際フォーラム. 2012年5月24日閲覧。
  5. ^ “【防衛オフレコ放談】自衛隊で内紛勃発 対中有事めぐり四分五裂”. 産経新聞. (2013年9月16日). https://web.archive.org/web/20130917020251/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130916/plc13091618000006-n1.htm 2013年9月16日閲覧。 
  6. ^ “集団自衛権、論議再開へ=17日に安保法制懇”. 時事通信. (2013年9月16日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2013091600184 2013年9月16日閲覧。 
  7. ^ 集団自衛権「地球の外でも」=北岡氏 時事通信2013年10月22日
  8. ^ “「同盟国の要請必要」 集団的自衛権で北岡氏”. 産経新聞. (2013年9月14日). https://web.archive.org/web/20130915024043/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130914/plc13091412310009-n1.htm 2013年9月16日閲覧。 
  9. ^ “【戦後70年首相談話】有識者会議メンバー16人を発表 25日に初会合”. 産経新聞. (2015年2月19日). https://www.sankei.com/politics/news/150219/plt1502190023-n1.html 2021年1月19日閲覧。 
  10. ^ “首相は「侵略」認定を 北岡伸一座長代理”. 産経新聞. (2015年3月9日). https://www.sankei.com/politics/news/150309/plt1503090018-n1.html 2021年1月19日閲覧。 
  11. ^ 長谷川三千子 (2015年3月17日). “歴史を見る目歪める「北岡発言」 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20150317-QDKS5A7FH5LANN6OXAWHPF6E6Y/ 2021年1月19日閲覧。 
  12. ^ “「安倍談話」の有識者会議座長代理の変節から浮かぶ「圧力」の歴史――シリーズ【草の根保守の蠢動 第7回】”. ハーバー・ビジネス・オンライン. (2015年4月13日). https://hbol.jp/33866 2021年1月19日閲覧。 
  13. ^ 東京大学学内広報1424号(2012年5月25日閲覧)
  14. ^ 国際大学学長交代のお知らせ
  15. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  16. ^ “JICA receives a National Order of Merit from the Government of Paraguay: Contribution to the development of Paraguay spans over 40 years”. JICA. (2019年11月21日). オリジナルの2020年6月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200626133834/https://www.jica.go.jp/english/news/press/2019/20191121_31.html 
  17. ^ 東京大学 学内広報 No.1420” (PDF). 東京大学広報室. p. 6 (2011年12月16日). 2023年5月12日閲覧。
  18. ^ a b c http://go2senkyo.com/candidate/191779
  19. ^ 日本人名大辞典『北岡寿逸』 - コトバンク
  20. ^ 北岡伸一東大教授ご夫妻が現場を巡視-吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草
  21. ^ 北岡伸一(東京大学名誉教授) 私の履歴書(2)吉野 東京大学名誉教授”. 日本経済新聞 (2024年8月2日). 2024年8月3日閲覧。

外部リンク

先代
森正勝
国際大学学長
2012年 - 2015年
次代
加瀬公夫
先代
田中明彦
国際協力機構理事長
2015年 - 2022年
次代
田中明彦

北岡伸一(東京大学名誉教授)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 03:48 UTC 版)

亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の記事における「北岡伸一(東京大学名誉教授)」の解説

東京大学名誉教授の北岡伸一は、1875年明治8年9月20日江華島事件において、日本朝鮮責任追及して1876年明治9年2月日朝修好条規結んで朝鮮開国させたと説明し、このとき福澤は、本社説を『郵便報知新聞』に発表し日本真の課題欧米との競争であり、それも軍事における競争ではなく貿易商売における競争である、朝鮮無礼とがめて事を起こすのは、事柄大小緩急誤ったのである述べたことを説明し、これは福澤が「殖産興業内地優先力説した」ものだと解説した

※この「北岡伸一(東京大学名誉教授)」の解説は、「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の解説の一部です。
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