ながた‐てつざん【永田鉄山】
永田鉄山 ながた てつざん
長野生まれ。陸軍軍人。陸軍大学校卒業後、ドイツ、デンマーク、スウェーデンに駐在。国家総動員を研究。大正10年(1921)スイス公使館付武官となり、バーデンバーデンで岡村寧次、小畑敏四郎と将来の陸軍改革を誓う。昭和元年(1926)陸軍省整備局初代動員課長。以後、軍務局軍事課長、参謀本部第二部長などをへて、9年(1934)軍務局長となる。統制派の中心人物として手腕を振るったが、翌年8月執務中に皇道派の相沢三郎中佐に殺害された。
キーワード | 陸軍軍人 |
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永田鉄山
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永田 鉄山(ながた てつざん、1884年〈明治17年〉1月14日 - 1935年〈昭和10年〉8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。
- ^ 志道保亮『鉄山永田中将』(川流堂小林又七本店) 昭和13年
- ^ 秦 2005, pp. 545–611, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-I 陸軍-1.陸軍大学校卒業生
- ^ a b 「日本陸軍興亡の二十年」『丸』潮書房、昭和31年12月
- ^ a b 山口富永『二・二六事件の偽史を撃つ』国民新聞社、平成2年[要ページ番号]
- ^ 日本近代史料研究会編『亀井貫一郎氏談話速記録』
- ^ 松沢哲成・鈴木正節『二・二六と青年将校』三一書房、昭和49年
- ^ 池田純久『日本の曲り角』千城出版、昭和43年
- ^ 永田鉄山軍務局長、現役中佐に斬られる『東京日日新聞』(昭和10年8月13日夕刊).『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p1 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」で放送された証言録音より。
- ^ a b c d 森靖夫『永田鉄山 平和維持は軍人の最大責務なり』ミネルヴァ書房〈日本評伝選〉、平成23年
- ^ 小林道彦『政党内閣の崩壊と満州事変』ミネルヴァ書房、平成22年
- ^ 雑誌『外交時報』永田本人の寄稿文「満蒙問題感懐の一端」、昭和7年
- ^ 今村均『今村均回顧録』p.187-189 芙蓉書房、昭和55年
- ^ a b 木戸日記研究会編『木戸幸一日記・上』東京大学出版会、昭和41年
- ^ 永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」 文春新書 早坂隆 p.211-212
- ^ 上法快男編、高山信武著、『続・陸軍大学校』芙蓉書房 1978年
- ^ 早坂隆著、『永田鉄山 昭和維新「運命の男」』文春新書、2015年 47頁
- ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和9年9月1日調』偕行社、1934年、23頁 。
- ^ 『官報』第6441号「叙任及辞令」1904年12月17日。
- ^ 『官報』1918年07月11日 叙任及辞令
- ^ 『官報』1923年08月08日 叙任及辞令
- ^ 『官報』第2858号・付録、「辞令」大正11年02月14日。
- ^ 『官報』第2129号「叙任及辞令」1934年2月8日。
永田鉄山(陸士16期首席・陸大23期恩賜)
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