たちばな‐しゅうた〔‐シウタ〕【橘周太】
橘周太 たちばな しゅうた
長崎生まれ。陸軍軍人。明治20年(1887)陸軍士官学校卒業。30年(1897)戸山学校教官、35年(1902)陸軍少佐、名古屋地方幼年学校長。37年(1904)第2軍管理部長として日露戦争に出征。歩兵第34連隊第1大隊長となり、遼陽の戦闘で戦死した。死後中佐進級。海軍の広瀬武夫中佐と並ぶ軍神として著名になる。著書『経験余録』(1903)ほか。
キーワード | 陸軍軍人 |
---|
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
橘周太
橘周太
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 14:00 UTC 版)
遼陽会戦において壮烈な戦死を遂げた橘少佐について、模範的な軍人であったということを讃える記事が新聞に掲載されるようになり、海軍の広瀬に続いて、陸軍での軍神と呼ばれるようになった。国語教科書でも「橘中佐」として取り上げられる。
※この「橘周太」の解説は、「軍国美談」の解説の一部です。
「橘周太」を含む「軍国美談」の記事については、「軍国美談」の概要を参照ください。
橘周太と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 橘周太のページへのリンク