著作等
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著『明徳記:校本と基礎的研究』1990年、笠間書院 編『応仁記・応仁別記』1978年、古典文庫 『年表資料中世文学史』2008年、笠間書院 訳『とはずがたり』1984年、創英社。(訳・注)
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『小林福太郎氏遺作集』建友会 編 (洪洋社, 1943) 『北支満鮮随行日誌 図書』旭峯小林福太郎 著 (小林福太郎, 1928) 日本住宅の手入と保存法 / 建築画報. 18(6) 、建築画報社, 1927年6月号。 鐵筋コンクリート造の寺院建築に就て / 工業ト社会. 31(7) 国立国会図書館/図書館送信限定 雑誌 (東京工業会出版部, 1929年7月) コンクリートの美――(長林寺建築) / 建築画報. 20(9)(245) 、建築画報社, 1929年9月号。 江沼神社長流亭を觀る / 建築画報. 23(11)(283) 、建築画報社, 1932年11月号。
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「本邦沿海ノ大勢ヲ知ラシムルノ教科ヲ小学校ニ設クルノ必要ヲ論シ併セテ該書編輯ノ意見ヲ述フ」大日本教育会雑誌54、1887年4月30日 (1886年5月9日常集会演説) 「海上の権力 肝付海軍大佐の意見」(1)~(8)、国民新聞1894年10月24、25、26、27、28、30、31日、11月1日号 「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」連載、読売新聞1900年1月2、3、4日号 「我が海国的価値を論じて国民の覚悟に及ぶ」帝国水難救済会機関誌『海』1、1900年7月18日 「我が海国民の前途」帝国海事協会機関誌『海事雑報』202、1905年7月10日 (沖縄県師範学校での講話) 「港湾設備の急要」帝国海事協会機関誌『海事雑報』210、1906年3月10日 「肝付兼行書翰(史料翻刻)」大阪工業大学紀要59巻1号、2014年9月。辻新次、徳富蘇峰宛書翰を収録。
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回想録として吉本襄による『氷川清話』や巌本善治による『海舟座談』がある。 『氷川清話』は吉本襄が新聞や雑誌をまとめ漢語調や文章体であったものを口語体に統一した上で分類編集し書籍化したものであるが、底本とした原談話から吉本が歪曲・改竄している疑いのある個所も多い。江藤淳・松浦玲が編集しているものについては吉本が底本とした原談話と比較し歪曲・改竄の疑いがあるものについて指摘し解説がなされている。特に『氷川清話』の『第一章 履歴と体験』この中には長崎海軍伝習時代や咸臨丸での太平洋横断、第二次長州征討の講和談判、江戸城開城など幕末を語る海舟の談話が多く載っているがこれに関しては底本となった原談話が少なく、松浦も「校正の腕を振るいにくかった」と書いている。 『海舟座談』は巌本善治による海舟筆記録で、元は『海舟餘波』として海舟死没直後の明治32年3月に巌本が発行したものを昭和5年(1930年)に巌本自身が日付別に整理し『海舟座談』として文庫化したものである。海舟本人からの巌本による聞き書きで海舟の話し方の細かな特徴まで再現されており、幕末・明治の歴史を動かした人々や、時代の変遷、海舟の人物像などを知ることができる。ただし、時局に差しさわりのある発言は『海舟餘波』に載っていたものが『海舟座談』では削られてしまい一部は正反対の意味に書き換えられてしまっている。こちらも江藤・松浦が編纂しているものについては『海舟餘波』などと比較した上で歪曲・改竄の疑いがあるものについて指摘し解説がなされている。また氷川清話についての勝自身の言葉が巌本善治の『海舟座談』にある。 明治30年(1897年)10月6日の座談 「吉本襄が来て、新聞に出た此方のはなしを集めて、(『氷川清話』を)出版したいと言うた。たいそう困るから、そうさせてもらいたいと言った。勝手にしなさいと言うて置いた。」 この言葉に対し巌本善治が(「序文はお書きにならぬが宜しいです。新聞に出たのはたいてい間違っておりますから」)と言うと、 「ナーニ、目くら千人目あき千人だから、構いやしない。吉本はイイやツだよ。少し頑固だけれどネ。」と返している。 この巌本の言葉から吉本が元にした『氷川清話』の新聞記事そのものからして間違っており、さらにそこに吉本による歪曲・改竄が加わっているのだと考えられる。そのためそれを元にした『氷川清話』に勝の意志や談話が正しく反映されているのだとは言い切れない。同じく『海舟座談』の明治31年(1898年)10月23日の談話では続々氷川清話のことが載っている。 (「吉本襄がまた『続々氷川清話』を作るといってよこしました。私は、断りましたが、皆んなから、書いたものを集めるそうです」という巌本に対し)「そうかエ。もうよせばいいのに。前ので、もうかったということだ。尾崎が来てそう言ったから、確かだろう。少しも此方は関係しないのだが。この間も、二度ほど来たから、断わって返した。」 この言葉から『氷川清話」は著作というよりも海舟のこれまでの談話が載った新聞や雑誌の記事を吉本が海舟の許可を得た上で書籍化したのだろうか。吉本の『たいそう困るから、そうさせてもらいたい』は吉本が金に困っていたということであり、その1年後の『続々氷川清話』についての海舟の言葉「前ので、もうかったということだ」「少しも此方は関係しないのだが」からは『氷川清話』で吉本に多額の印税が入り続編が出ることになったこととその印税は勝の元には入らなかったであろうことがわかる。 膨大な量の全集があり、維新史、幕末史を知る上での貴重な資料となっている。海舟は相当の筆まめであり、かなりの量の文章・手紙等が残っている。また父・小吉も自伝『夢酔独言』(平凡社東洋文庫ほか)を書いている。
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国立国会図書館憲政資料室所蔵井上馨関係文書に、井上馨宛書簡29通が残る。
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『海上保安庁特殊部隊SST』並木書房、2005年。ISBN 978-4890631933 (小峯隆生の著作・坂本は協力者として名前が出ており、取材に応じたり情報提供を行ったりしたと記されている) 『海上保安官-日本の海を守る精鋭たち』並木書房、2008年。 ISBN 978-4890632329(内容に大量の盗作が発覚し絶版となった) 『海上保安官 改訂版-日本の海を守る精鋭たち』並木書房、2011年。 ISBN 978-4890632725(川口大輔と共著・本名と素顔を公開)
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『八面鋒 朝野の政治家』博文館、1911年10月。NDLJP:778592。 『明治民権史論』有倫堂、1913年3月。NDLJP:950591。 『明治民権史論』葦書房、1994年1月。ISBN 9784751205440。 『七擒八縦』東亜堂、1913年5月。 『我が観たる満鮮』政教社、1915年5月。NDLJP:953853。 『我が観たる満鮮』、小島晋治監修ゆまに書房〈大正中国見聞録集成 第1巻〉、1999年4月。ISBN 9784897146652。 『世界政策と極東政策』至誠堂書店、1917年2月。NDLJP:956696。 『世界改造の巷より』東方時論社、1919年4月。NDLJP:957974。 『講和会議を目撃して』東方時論社、1919年7月。NDLJP:955661。 『現実を直視して』善文社、1921年2月。NDLJP:961798。 『満鮮の鏡に映して』東方時論社、1921年3月。 『露西亜承認論 大正十二年三月二十日衆議院に於ける演説速記 』東方時論社、1923年5月。NDLJP:965639。 『露西亜承認論』東方時論社、1923年6月。NDLJP:911177。 岡野竜一編輯 編 『中野正剛対露支論策集』我観社、1926年4月。NDLJP:1018652。 『田中外交の惨敗』平凡社、1928年12月。 『国民に訴ふ 中野正剛大演説集』平凡社、1929年4月。NDLJP:1447367。 『国家統制の経済的進出』平凡社、1930年7月。NDLJP:1080499。 『沈滞日本の更生』千倉書房、1931年8月。NDLJP:1272160。 『転換日本の動向』千倉書房、1932年1月。 『日本の動向』立憲耕堂会、1932年7月。NDLJP:1455467。 野口保元編輯 編 『満洲国即時承認を高調す 駒井長官を迎へて』東京講演会、1932年8月。 『大満洲国建設に就て 駒井氏を迎へて』東京講演会、1933年4月。 『国家改造計画綱領』千倉書房〈東方会叢書 第1輯〉、1933年10月。NDLJP:1448399 NDLJP:1454098。 大阪毎日新聞社編 編 『帝国の非常時断じて解消せず』大阪毎日新聞社・東京日日新聞社〈大毎講座 1〉、1934年3月。NDLJP:1267793。 『現状崩壊の過程と積極健全政策の提唱』我観社、1935年1月。 『日本国民に檄す 北支風雲の煙幕を透して』我観社、1935年12月。 『日本拡大強化論』日本講演協会、1936年3月。NDLJP:1270368。 『昭和維新と官僚政府の役割』秀光書房、1936年8月。NDLJP:1437051。 電気聯合通信社編 編 『電力国営案に対し中野正剛氏所信を明かにす』電気聯合通信社、1936年8月。 徳富蘇峰、中野正剛、田知花信量 『危機線上の日支』東京日日新聞社・大阪毎日新聞社、1936年9月。 『支那をどうする 日支問題を如何に解決すべきか』今日の問題社、1936年10月。NDLJP:1446206 NDLJP:1454716。 朝風社編輯局編 編 『中野正剛氏大演説集』朝風社、1936年11月。NDLJP:1268331。 『積極拡大主義の危険性と合理性』東大陸社、1937年3月。NDLJP:1457050。 『日本は支那を如何する』育生社、1937年11月。NDLJP:1463497。 『伊・独両元首等との時局論争』日本外交協会、1938年3月。NDLJP:1282222。 『魂を吐く』金星堂、1938年5月。NDLJP:1268253。 『真直ぐに行け』育生社、1938年5月。 『全体主義政策綱領』、中野正剛・杉森孝次郎編著育生社、1939年2月。 『対支国策の根幹を論ず』東方会西日本支部、1939年7月。NDLJP:1455273。 『時局打開 国民運動講演速記録』時局海上協議会事務局、1939年7月。NDLJP:1276827。 『難局打開の経綸 紀元二千六百年・日本興廃の岐路』東大陸社、1940年1月。NDLJP:1080458。 末次信正、中野正剛 『日米危機とその見透し』新経済情報社〈政経懇話会叢書 第1輯〉、1941年2月。NDLJP:1030713。 『東方会の旗は進む』東京講演会出版部、1941年4月。NDLJP:1270733。 『嵐に立つ日本の政治戦略』東京講演会、1941年4月。 『難局突破の指標 新体制実践綱領』新東学社、1941年6月。 『新しい政治の方向』(改訂版)東方会宣伝部、1941年9月。NDLJP:1437072。 『ルーズヴェルト、チャーチルに答へ日本国民に告ぐ』東方会宣伝部、1941年10月。NDLJP:1455501。 『世界維新の嵐に立つ』東方会、1942年1月。NDLJP:1267223。 『戦争に勝つ政治』東方会、1942年3月。NDLJP:1455338。 『此ノ一戦 国民は如何に戦ふべきか!』鶴書房、1942年4月。NDLJP:1095081。 『太閤秀吉』東方同志会出版局〈日本外史講義〉、1943年2月。NDLJP:1058183。 『戦争に勝つ政治』武蔵野書房、1943年7月。NDLJP:1442165 NDLJP:1445980。 『建武中興史論』正剛会〈中野正剛選集 1〉、1953年11月。
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著作等
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「明治十四年第一月一日南亜米利加白露国カルレオ港停泊英国旗艦ツライアムフ号乗組我海軍生徒伊集院五郎ヨリ川村海軍卿其他ヘ報知セル書翰ヲ訂正シテ白露知里両国の戦況等ヲ掲載スル」海軍省雑誌1号、1881年5月。「白露」はペルー、「知里」はチリ。
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「田中広太郎 (内務官僚)」の記事における「著作等」の解説
『地方税戸数割』良書普及会、1922年。 『地方税制講話』良書普及会、1926年。 『最新地方財政要綱』良書普及会、1928年。 『地方財政』日本評論社、1930年。 内政史研究会『田中広太郎氏談話速記録』第1回・第2回・第3回(『内政史研究資料』第5・9・13集)、1963-64年。『現代史を語る(7)――内政史研究会談話速記録』(伊藤隆監修、内政史研究会編、現代史料出版、2012年)。他は堀切善次郎
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著作等
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「クライブ・ハミルトン」の記事における「著作等」の解説
ハミルトンは、15年以上に渡って気候変動の政治問題について多くの著作を残してきた。彼の著書「Requiem for a Species」(Earthscan 2010)は、 気候変動否定論とその意味を探るものである。「Scorcher」(2007)と「Running from the Storm」(2001)は、特に京都議定書に関連しオーストラリア政府の取り組みに批判的なものだった。ハミルトンの気候変動に関する一般的な見解は、「世界は非常に不愉快な未来への道を進んでおり、それを止めるには遅すぎる」というものである。ハミルトンは、気候変動の真実を否定し他に何かを信じることは、単なる希望的観測に過ぎないと論じている。 ハミルトンは、消費主義と過剰消費に関する本も書いている。「Growth Fetish」(2003)はオーストラリアでベストセラーとなり、考えのない無暗な経済成長へ追求がまるでフェティシズムのようになったことを示唆している。「Growth Fetish」では、ハミルトンは経済成長に対するウェルビーイングの政治を主張している。「Affluenza」(2005)の中では、現代の消費生活の浅さを探る中で、これらのテーマがどのように個人レベルで起きているかについて述べる。「What's Left」(2006)では、「Growth Fetish」と「Affluenza」で書かれたトピックについて触れ、「その意義を奪った」 自由市場の荒廃という形で、新しいタイプの「疎外化と搾取」が出現していると主張した。「Freedom Paradox」(2008)は、消費資本主義の本質とその結果を扱っている。本の中でハミルトンは、「市場の自由」によって引き起こされる「道徳的な退廃」への挑戦として役立つであろう「世俗時代の倫理」のシステムを提案している。 2007年に「Silencing Dissent: How the Australian Government Is Controlling Public Opinion and Stifling Debate」をサラ・マディソンと共に編集したものが出版された。 2018年2月には、中国共産党による、オーストラリアの市民社会と政治に対する影響力増大について、「Silent Invasion: China's influence in Australia(「サイレント・インベージョン ~オーストラリアにおける中国の影響~」)」を出版した。
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著作等
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演説「一女数男」、安枝武雄編『廃娼同盟会演説集 正義の反響』廃娼雑誌社、1890年(明治23年)8月、所収。 根本正訳『米国地方制度』博聞社、1892年(明治25年)2月 根本正編『ウヰスト嬢小伝及禁酒演説集』根本正、1892年(明治25年)9月 根本正著『フレデリック・ビリングス伝』根本正、1895年(明治28年)5月 根本正著『公平選挙法』根本正、1896年(明治29年)6月 『南米伯刺西爾・中米尼加拉瓦・瓦地馬拉・西印度ゴアデロプ探検報告』外務省通商局、1895年5月。(同年3月付外務次官林董宛根本正探検復命書)。外務省ホームページに簡単な解説がある。第2編第13章にニカラグア運河計画についての記述がある。 根本正著『第十二議会報告書 附・合同理由』根本正、1898年(明治31年)6月 根本正著『第十四回帝国議会報告』根本正、1900年(明治33年)4月 根本正著『第十五回帝国議会報告』根本正、1901年(明治34年)4月
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著作等
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『情報倫理 ―ネットの炎上予防と対策―』 共立出版、2013年11月22日。服部哲 共著 ISBN 4320123387 『スマホで簡単! 動画のプレゼント (趣味どきっ!) 』 NHK出版、2015年9月25日。 ISBN 4142287109 『Web制作の技術: 企画から実装,運営まで』 共立出版、2015年11月11日。松本早野香 (著, 編集), 服部哲 (著), 大部由香 (著) ISBN 4320123522 学びとコンピュータハンドブック「ブログ炎上」の項
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著作等
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存命中刊行 「秋田の荒廃は交通の便否に在り」秋田魁新報1889年12月18日号、社説欄。 『金沢地誌略』長沼宗恭<編>、伊藤直純<校>、長沼宗恭、横手町、1894年4月。 『金沢山八幡神社記』伊藤直純<編>、保古会、金沢村、1894年5月。 『現行森林法規』伊藤直純<編>、行政法協会、東京、1898年7月。 伊藤直純『北羽遊説紀行 : 附 演説筆記』草川要蔵、秋田、1899年8月。 - 秋田県立図書館所蔵 伊藤直純『後三年戦蹟誌』保古会、金沢町、1917年。 近年刊行 『京游日誌』- 明治20年の上京手記。横手市立図書館に残る。柴崎力栄「伊藤直純『京游日誌』」大阪工業大学紀要人文社会編41-1、1996年、が全文翻刻。
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著作等
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馬淵久夫・植田義子・菅哲也・廣野 嗣雄(編) 2004『日本のオルガンIII』 日本オルガニスト協会、2004年。 廣野 嗣雄『オルガンのためのエッセイ』 全音楽譜出版社、2005年。 エーバーハルト・クラウス(著)、廣野 嗣雄・松原茂(訳) 『オルガンとその音楽-各国のオルガン風土をめぐって』 音楽之友社、1975年。 ハンス・クロッツ(著)、廣野 嗣雄(訳) 『バッハのクラヴィーア・オルガン作品の装飾法-記号の意味と演奏法』 シンフォニア、1991年。
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著作等
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1952年 「西条平野の地下水(第Ⅰ報)」(『資源研彙報』 27,40-49) 1953年 「西条平野の地下水(第Ⅱ報)」(『資源研彙報』 28,77-82) 1954年 「本邦高冷地水田の分布とその気温的開発可能限界」(『地理学評論』 27-3,108-116.) 典拠管理 ISNI: 0000 0003 7973 0366 NDL: 00733836 VIAF: 258788069 WorldCat Identities(VIAF経由): 258788069 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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『支那朝鮮兵要地理案内 : 一名・清韓地図之解説』東京・杉山書店、1894年10月。奥付に「著作者 佐藤啓吉/岩手県東磐井郡長阪村」とある。 『巌手県全図 実測』金昌堂、1898。 『磐井乃名所 』文港堂書店、1916年。東京都立中央図書館所蔵
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『地の底のめぐみ-黒鉱の化学-』裳華房、1988年。ISBN 4-7853-8511-1。 『地球システム科学入門』東京大学出版会、1992年。ISBN 4-13-062701-5。 『地球システムの化学-環境・資源の解析と予測』東京大学出版会、1997年。ISBN 4130667033。 『廃棄物とのつきあい方』コロナ出版社〈新コロナシリーズ〉、2001年。ISBN 4339076961。 『地球学入門』慶應義塾大学出版会、2006年。ISBN 4766412982。 『地球惑星システム科学入門』東京大学出版会、2009年。ISBN 4130627147。 『地球システム環境化学』東京大学出版会、2010年。ISBN 4130607553。 『水資源の科学』オーム社、2012年。ISBN 4274213005。 『Introduction to Earth and Planetary System Science: New View of Earth, Planets and Humans』Springer、2012年。ISBN 978-4431540571。192p. ほか、岩波講座など編著書多数。
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仏教解体(仏教カルト研究所 、2000/4/1) 山根二郎作成の文書が公式ホームページである山根二郎.com https://yamanejiro.com にて公開されている。
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『青年教育の革新』〈革新日本青年全集;第2巻〉育生社、1938年。 『新体制下の青年の任務』〈大政翼賛叢書;第8輯〉大政翼賛会宣伝部、1941年。 『青年の革新』興亜書房、1942年。 エドアード・ベルンスタイン [著],栗原美能留 [訳]『マルキシズムの修正』〈社会思想パンフレット;第8輯〉中央報徳会、1932年。 『内政史研究資料』第184~186集 栗原美能留氏談話速記録 第1~3回、内政史研究会、1977年。
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講述『市街地建築物法講義』復興局、1929年。 内政史研究会『内政史研究資料』第228集~第245集、新居善太郎氏談話速記録 第1~18回、1974年 - 1983年。
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著作等
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『地方財政の実際問題』良書普及会、1931年。 『地方財政改革論』河中俊四郎、1933年。 『地方財政及税制の改革』良書普及会、1937年。 『地方財政読本』良書普及会、1938年。 『地方財政補給金制度詳解』良書普及会、1938年。 『地方税制読本』良書普及会、1940年。 『地方税制の改正』帝国地方行政学会、1940年。 『日本廻国記 - わが旅のメモ』時評社、1968年。 『三好重夫逸稿集』三好浩介、1982年。 『内政史研究資料』第40集〜第45集、内政史研究会編、三好重夫氏 談話速記録 第1〜6回、1966年11月 - 12月。 『現代史を語る(2)三好重夫――内政史研究会談話速記録』伊藤隆監修、現代史料出版、2001年
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主な著書 『増訂華英通語』 『西洋事情』 『雷銃操法』 『西洋旅案内』 『条約十一国記』 『西洋衣食住』 『兵士懐中便覧』 『訓蒙窮理図解』 『洋兵明鑑』 『掌中万国一覧』 『英国議事院談』 『清英交際始末』 『世界国尽』 『啓蒙手習之文』 『学問のすゝめ』 『ひびのおしえ』 『童蒙教草』 『かたわ娘』 『改暦弁』 『帳合之法』 - 1873年6月初編、1874年6月2編。最初の簿記学の本。 『日本地図草紙』 『文字之教』 『会議弁』 『文明論之概略』 『学者安心論』 『分権論』 『民間経済録』 『福澤文集』 『通貨論』 『通俗民権論』 『通俗国権論』 『民情一新』 『国会論』 『時事小言』 『時事大勢論』 『帝室論』 『兵論』 『徳育如何』 『学問之独立』 『全国徴兵論』 『通俗外交論』 『日本婦人論』 『日本婦人論後編』 『士人処世論』 『品行論』 『男女交際論』 『日本男子論』 『尊王論』 『国会の前途』 『国会難局の由来』 『治安小言』 『地租論』 『実業論』 『福澤全集緒言』 『福澤全集』 『修業立志編』 『福翁百話』 『福翁百余話』 『福澤先生浮世談』 『女大学評論』 『新女大学』 『明治十年丁丑公論』 『瘠我慢の説』 『福翁自伝』 『旧藩情』 『唐人往来』 著作集 『福澤諭吉著作集』(全12巻)、慶應義塾大学出版会で2002年(平成14年)-2003年(平成15年)に刊行。 2009年(平成21年)に、著作集の一部(選書 全5冊)が、コンパクト版で新装刊行。 マリオン・ソシエ、西川俊作 編 『西洋事情』2002年5月15日。ISBN 4-7664-0877-2。 (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1622-0) 中川眞弥 編 『世界国尽 窮理図解』2002年3月15日。ISBN 4-7664-0878-0。 小室正紀、西川俊作 編 『学問のすゝめ』2002年1月15日。ISBN 4-7664-0879-9。 (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1623-7) 戸沢行夫 編 『文明論之概略』2002年7月15日。ISBN 4-7664-0880-2。 (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1624-4) 西川俊作、山内慶太 編 『学問之独立 慶應義塾之記』2002年11月15日。ISBN 4-7664-0881-0。 小室正紀 編 『民間経済録 実業論』2003年5月15日。ISBN 4-7664-0882-9。 寺崎修 編 『通俗民権論 通俗国権論』2003年7月15日。ISBN 4-7664-0883-7。 岩谷十郎、西川俊作 編 『時事小言 通俗外交論』2003年9月30日。ISBN 4-7664-0884-5。 坂本多加雄 編 『丁丑公論 瘠我慢の説』2002年9月17日。ISBN 4-7664-0885-3。 西澤直子 編 『日本婦人論 日本男子論』2003年3月17日。ISBN 4-7664-0886-1。 服部禮次郎 編 『福翁百話』2003年1月15日。ISBN 4-7664-0887-X。 (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1625-1) 松崎欣一 編 『福翁自伝 福澤全集緒言』2003年11月17日。ISBN 4-7664-0888-8。 (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1626-8) 事典 福澤諭吉事典編集委員会 編 『福澤諭吉事典』 慶應義塾150年史資料集 別巻2、慶應義塾大学出版会、2010年12月25日。ISBN 978-4-7664-1800-2。 著書翻訳 An Outline of a Theory of Civilization. The Thought of Fukuzawa 1. David A. Dilworth・G. Cameron Hurst, III. Keio University Press. (2008-11-11). ISBN 978-4-7664-1684-8 - 『文明論之概略』の英訳。 An Encouragement of Learning. The Thought of Fukuzawa 2. David A. Dilworth. Keio University Press. (2012-04-30). ISBN 978-4-7664-1684-8 - 『学問のすゝめ』の英訳。 『学問のすゝめ』、『福翁自伝』は、数か国語に訳・出版。「学問のすゝめ」および「福翁自伝」を参照
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『農村経営と自治』六盟館、1911年、100頁。 『社会事業綱要』巌松堂書店、1923年、511頁。 『日本基督教社会事業史』教文館出版部、1931年、311頁。など。
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志賀重昂 『南洋時事』丸善商社、1887年4月初版。1887年10月2版。1889年10月増補3版。1891年2月増補訂正4版。 菅沼貞風『大日本商業史』 東邦協会、 1892年。八尾書店、1902年10月訂3版。 竹越与三郎『南国記』 二酉社、1910年。 内田嘉吉『国民海外発展策』拓殖新報社、1914年。 井上雅二『南洋』冨山房、1915年。 副島八十六『帝国南進策』民友社、1916年。 竹越与三郎『三叉文鈔』正午出版社仮営業所、1918年。
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『大祓抄』 『記紀抄』 『総社記』 『吉備国史補』 - 『備中誌』の可能性あり。 『蒼蠅日記』 『平賀翁口授』
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「朝鮮問題ニ対スル意見書」〈大久保利通関係文書(所蔵)〉、1875年(明治8年)12月、1綴、墨書。doi:10.11501/11444526、国立国会図書館近代デジタルライブラリー。 (差)文部卿河野敏鎌「音響速度測定ノ号砲連発ノ件」(受)大警視樺山資紀、1881年(明治14年)1月14日、東京大学文書館デジタル・アーカイブ、東京大学文書館。 『英国ヨリ伊太利日記』明治20年12月25日〜明治21年2月28日(1887年–1888年)、1冊、鉛筆、doi:10.11501/11536558。〈樺山資紀関係文書〉、(その2)> 書類 > 日記。 『樺山内相談話一斑』(東京:国民新聞社、1897年)聞き書き、近代デジタルライブラリーで閲覧可能。doi:10.11501/78298。 (差)海軍大臣子爵樺山資紀『海軍技術士官養成ノ件ニ係ル約條書第九條更正』(受)文部大臣芳川顕正、1890年(明治23年)10月24日、東京大学文書館デジタル・アーカイブ、東京大学文書館。 樺山資紀(台湾総督)『総督命令控』宛先 : 有地品之允(常備艦隊司令長官)、1綴、墨書、大本営罫紙、1895年(明治28年)5月23日、doi:10.11501/11898658。〈樺山資紀関係文書〉(その2)> 書類 > 日清戦争関係・台湾総督時代 > 電報・公信類。 樺山資紀(台湾総督)『台湾及澎湖島戦病死者追悼祭挙行にあたり挨拶文』1綴、墨書、台湾総督府罫紙、1896年(明治29年)4月25日、doi:10.11501/11898753、 〈樺山資紀関係文書〉(その2)> 書類 > 日清戦争関係・台湾総督時代 > その他。 樺山資紀(鹿児島県人在京有志者総代)『島津忠重公の海軍兵学校入学に当り島津斉彬公の肖像贈呈の挨拶』1枚、墨書、1904年(明治37年)11月10日、doi:10.11501/11898823。〈樺山資紀関係文書〉(その2)> 書類 > 日清戦争関係・台湾総督時代 > 電報・公信類。 樺山資紀関係文書(その2)> 書類 > 鹿児島関係 > 島津家。 樺山資紀(枢密顧問官)『転地療養願』宛先 : 桂太郎(内閣総理大臣侯爵)、1枚、墨書、1909年(明治42年)11月2日、doi:10.11501/11898302。〈樺山資紀関係文書〉(その2)> 書類 > 公務。 樺山資紀『転地療養追願』宛先 : 桂太郎(内閣総理大臣)、1枚、墨書、1910年(明治43年)1月18日、doi:10.11501/11898764。〈樺山資紀関係文書〉(その2)> 書類 > 公務。 華山(樺山資紀)(謄写)『甘藷翁銘 沿革』今藤宏(撰、鹿児島県十等官)、椎原国蕃(指宿郡宰)〈樺山資紀関係文書(その2)〉(書類 > 鹿児島関係 > その他、1910年(明治43年)3月20日(原典は1873年・明治6年5月)1綴、墨書。doi:10.11501/11898832、国立国会図書館。樺山 資紀『樺山資紀文書』私製、1990年。NCID BB14969470。広瀬青邨文庫。 『樺山資紀書簡』宛先 : 牧野伸顕、1通、ペン、東京ステーションホテル用箋、〔大正〕12月7日、doi:10.11501/11898537。南洋の占領島、沿海州の件。〈樺山資紀関係文書(その2)〉書簡 > 第三者宛。 華山(樺山資紀)『敗鶴翁出家称天也有自述詩五篇次韵賦贈』doi:10.11501/11899143。〈樺山資紀関係文書(その2)〉書類 > 詩歌。 樺山資紀(篆額)『境域恢復紀念之碑(足立神社)』東角井福臣(謹書)、石田道三郎(撰文)、doi:10.11501/11899186。〈樺山資紀関係文書(その2)〉書類 > 書 > その他 > 図面。 華山(樺山資紀)『十月課題(秋林独嘯、老馬、歳晩即事)』竹齋、向陽、松坡、2枚、墨書。doi:10.11501/11899131。〈樺山資紀関係文書(その2)〉書類 > 詩歌。 (差)式部長男爵三宮義胤『三十二年新年拝賀時刻及新年宴会ノ節酒饌方其他ノ件』(受)文部大臣伯爵樺山資紀、明治31年12月26日、東京大学文書館デジタル・アーカイブ、東京大学文書館。 (差)独逸留学生松波仁一郎 『英国倫敦ニ於ケル国際海法会議ヘ出席シタル独国留学生松波仁一郎報告』(受)文部大臣伯爵樺山資紀。東京大学文書館デジタル・アーカイブ、東京大学文書館。 『二松庵詩鈔』鎌倉町 (神奈川県):田辺新之助、1923年、和装39丁、帙入。全国書誌番号:75029278、doi:10.11501/1885219。国立国会図書館/図書館送信参加館・個人送信限定公開。図、肖像入り。 『樺山資紀書簡』桂太郎宛、1通、桂太郎旧蔵諸家書翰、3月17日の日付、表装:巻子装(21cm) 、書写(自筆)、書写年不明。 『名家尺牘集(めいか せきとくしゅう)』巻16、コマ番号7-8。関西大学デジタルアーカイブ。樺山が記した書簡を収載。
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著作等
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『印度支那視察大要』川上操六著、(発行者不明)、1897年。
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ラジオ講演「黄海々戦海軍記念日」(1925年9月、東京放送局より放送)、社団法人東京放送局編『ラヂオ講演集 第七輯』日本ラジオ協会、1926年8月、113~123頁。
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二人だけの「愛・宇宙」60兆個のバラード(近代文芸社刊) ISBN 477337750X 2010年暮れに、自分史とも言える小説を出版した。この小説の主たる舞台は、ネパールであるが、ネパールでの停電体験を語り、「文化は足で歩く。文明は飛ぶ」という冒頭の書き出しをモチーフに、釈迦が教える「離欲」=欲を捨てるのではなく、欲からなるべく遠ざかること=の重要性を言及している。文明依存で逆に人類社会が崩壊しつつある中で、生き方、働き方の懺悔を含めた「自分史」とも言える。 日本広告発達史(内川芳美編、電通刊:1980年)下巻執筆 ASIN B000J88514 「上海EXPO」の日本PRのために定期刊行物の編集総括。2010年開催された上海国際博覧会において、定期刊行物に「国際博覧会を駆け巡った人間証言」シリーズを毎回掲載、それをリライトして、日本ペンクラブ「電子文芸館」随筆セクションに輯録している。
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著作等
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漢文集『常山文集』、歌集『常山詠草』、随筆『西山随筆』などがあり、徳川圀順編『水戸義公全集』(1970年、水府明徳会)に収録されている。
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著作等
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「安東茂樹 (教育学者)」の記事における「著作等」の解説
『技術科教育はなぜ必要か-人を育て文化を築く「ものづくり」-』 単著 竹谷出版 2014年9月。 『技術・家庭技術分野』文部科学省検定教科書 共著 開隆堂 2016年2月他。 『新中学校技術科題材集&授業 : 生徒の感動や成就感をはぐくむ』 編著 明治図書 2010年8月。など。
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「ジョナサン・エドワーズ (神学者)」の記事における「著作等」の解説
ウィキソースに怒れる神の御手の中にある罪人の翻訳があります。 説教『怒れる神の御手の中にある罪人』は特によく知られている。1746年には、信仰と感情について論じた『宗教感情論』が出版されている。イェール大学バイネッキ稀覯手稿図書館に多くのオリジナル原稿が保管されている。
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著作等
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本光寺には、歴代住持の語録・著作・逸話が数多く残されていますが、その中でも特に有名なのが次の本光国師の話です。 『本光国師日記』(慶長十八年三月の頁) 文中に「家康に本光寺御目見仕候」と云う記述があり、城主忠利公と家康公のいざこざを板倉勝重と吉田本光寺八世仙麟長膳大和尚が一緒に調停した話が紹介されています。 調停した当事者の一人であった京都所司代板倉勝重は、若年の頃、本光寺四世角翁香麟大和尚の孫弟子となり、しかも宗哲と名乗り永安寺(現在の長円寺:本光寺末)の住持であった関係から、法類(弟弟子)からの強い要請と自らの本家筋である島原藩大老板倉家安泰の為に奔走し、松平家を紛争から救ったと伝えられています。 本光寺に関連する書籍類としては、以下のものが知られています。 『刈谷本光寺九世暉堂宋恵大和尚手写本』 『因果物語』(片仮名本) 江戸初期の仮名草子として知られている『因果物語』の中には、刈谷本光寺十世愚渓膳哲大和尚の事が紹介されています。 『正法眼蔵随聞記』(長円寺本) 長円寺本は、学界唯一の貴重本(岩波古典文学大系の底本)として、広く学究に愛され利用されています。 『家忠日記・忠利日記・藩日記』 島原藩の草創期における松平家・大老・本光寺の関係を克明に記録している日記類。三日と日を開けず頻繁に三者会談を行い藩政の課題を解決しようとしていた先人達の努力の跡を伺うことが出来ます。
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著作等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 10:19 UTC 版)
著書 『兵商論』伴正利、1891年 (『日本海運論』141頁で『兵商論』を自分の著作と指摘) 『日本海運論』日本経済会、1894年 (日本経済会懸賞論文「日本海運論」一位入賞) 『帝国海事総覧』共益商社、1900年 『対外商工策』宝文館、1911年 (大阪朝日新聞社一万号記念懸賞当選論文) 『海運政策』海軍経理学校、1923年 (第1回海軍臨時講習会講義録、日本海事センター海事図書館・防衛研究所図書館史料室・神戸大学海事科学部図書館所蔵。「寺島成信「海運政策」講義」、大阪工業大学紀要53-2 2009年2月にて全文翻刻) 『帝国海運政策論』巌松堂、1923年 (博士論文) 『交通政策 - 海運 - 』文信社、1927年 (昭和2年度東京帝大経済学部商学科「海運論」講義) 訳書 『仏国革命時代海上権力史論 下巻』アルフレッド・セイヤー・マハン著、水交社訳、東邦協会、1900年(上巻は齋藤恒太郎、下巻は寺島成信と海軍編修書記在職の内田成道の共訳) 論考 論説「海事思想涵養の方法」大日本教育会雑誌164、1895年3月1日 寄書「海運ノ振興ト巡航商船ノ制」水交社記事49、1894年8月(冒頭で『兵商論』『日本海運論』を自著として言及)
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著作等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/21 08:25 UTC 版)
鳩山一郎共著『警務練習新書』警察学会、1908年。 他編『栃木県会沿革史』栃木県、1911年。
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著作等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 15:01 UTC 版)
著書 中島泰蔵『ミュンステルベルヒ氏道徳之起源』育成会、1901年。 『最新研究心理学』同文館、1910年。 他 「二十四年の春から二十八年を経て」(故元良博士追悼学術講演会編『元良博士と現代の心理学』弘道館、1913年、二「諸氏の追憶談による故博士の略伝」ⅴ「大学時代」1「講師及び教授の初期」、165~168頁、『日本の子ども研究--明治・大正・昭和--第1巻 欧米児童研究の移植と初期の研究』クレス出版、2009年、復刻所収)。
※この「著作等」の解説は、「中島泰蔵」の解説の一部です。
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