家忠日記とは? わかりやすく解説

家忠日記

読み方:イエタダニッキ(ietadanikki)

分野 日記

年代 安土桃山時代

作者 松平家忠


家忠日記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:19 UTC 版)

松平家忠」の記事における「家忠日記」の解説

家忠は自身日記である『家忠日記』(いえただにっき)の著者としても知られる。これは天正3年1575年)から文禄3年1594年10月までの17年間、その日何が起こったかを簡潔に書き綴った日記である。原本は家忠の嫡孫江戸時代初期深溝松平家当主松平忠房修補したもの保管され現存する内容天候季節の淡々とした日常的なことから、戦などの政治情勢外交に関する記述多くある。出来事天候対する自らの感想寸評などほとんど書いていないが、能を鑑賞した連歌茶の湯楽しんだとの記述があり、家忠の文化人としての性格示している。 織田政権から豊臣政権へと変遷する当時の情勢において、家康東国に五カ国を領有し独自の勢力築いていた立場にあり、『家忠日記』の記述家康中心に戦国安土桃山期政治情勢を知るほか、甲斐武田氏相模後北条氏など徳川氏外交敵対関係にあった大名家動向を知る史料として注目されているまた、日常的記述部分当該期の武家大名たちの状態、日常生活習慣を知る史料として注目されている例え織田信長家臣黒人弥助について、甲州征伐帰国途上目撃し「名は弥助身の丈六尺二分黒人男性、身はすみのごとく」などと記しているため、黒人であることの裏付け取れまた、弥助身長がわかる。 なお、将棋現存最古局面図日記登場している。ただ局面描かれているだけで家忠が指したかどうか定かでないが、増川宏一によれば対局者は相当弱い棋力であり、実力級位程度であろうという。 なお原本内容明治30年出た史誌業書本及びそれをもとにした本の内容相違があると東大岩沢愿彦指摘している。

※この「家忠日記」の解説は、「松平家忠」の解説の一部です。
「家忠日記」を含む「松平家忠」の記事については、「松平家忠」の概要を参照ください。

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