1963 - 64年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 21:41 UTC 版)
「キプロス紛争」の記事における「1963 - 64年」の解説
キプロス独立当初に正副大統領となったマカリオス3世(左)とファーズル・キュチュク(右) キプロスは1960年8月16日に独立した。憲法では大統領はギリシャ系、副大統領はトルコ系から選出される事が規定されており、初代大統領にはキプロス正教会首座主教であるマカリオス3世が、副大統領にはファーズル・キュチュク(英語版)が就任した。しかし、トルコ系住民が、キプロスの総人口に占める割合に対して過大とも言える公務員定率を割り当てられた事が問題視された。マカリオスは1963年に憲法修正を行って、トルコ系住民の権利を縮小させることを求めたが、トルコ政府はこれを拒否した。さらにテロによってトルコ系国会議員3名が死亡したことと、この憲法改正がギリシャへの併合へつながると強く反発したトルコ系住民が分離独立を目指して1964年、内戦と化した。 内戦発生により、トルコ軍の介入と、それに対抗してギリシャ軍が投入される可能性が発生していた。そのためアメリカが介入を開始した。大統領リンドン・ジョンソンはギリシャの駐アメリカ大使に強硬な発言を行い、ギリシャの軍事介入を牽制する一方で、ギリシャ首相ゲオルギオス・パパンドレウに対して、トルコ人の自治州及びトルコ軍の軍事基地を設置することを条件にキプロスのギリシャへの併合を認める案を提供したが、パパンドレウはこれを拒否した。そのため、国際連合キプロス平和維持軍が派遣され、一時的ながらキプロスは落ち着きを見せた。
※この「1963 - 64年」の解説は、「キプロス紛争」の解説の一部です。
「1963 - 64年」を含む「キプロス紛争」の記事については、「キプロス紛争」の概要を参照ください。
- 1963-64年のページへのリンク