ギリシャ首相とは? わかりやすく解説

ギリシャ首相

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 08:52 UTC 版)

アレクシス・ツィプラス」の記事における「ギリシャ首相」の解説

2015年1月ギリシャ議会総選挙においてSYRIZA第一党になったことにより、右派ポピュリズム政党独立ギリシャ人連立組み同年1月26日40歳ギリシャの首相就任し過去150年間で最年少のギリシャ首相になった。これは欧州初の反緊縮政権となった2018年10月17日より外相代行兼任ツィプラス結婚はしていないが、同棲相手女性ペリステラ・バヅィアナとの間に二人の子供が誕生している。革命家チェ・ゲバラ崇敬しており、次男ミドル・ネームにはゲバラ本名からエルネスト名付けている。またツィプラス無神論者でもあり、首相就任宣誓式の時に従来のようなギリシャ正教式の宣誓は行わなかった。また、公の場でも普段からネクタイ締めていない。 「2015年9月ギリシャ議会総選挙」も参照 2015年8月中旬チプラス首相辞意表明し9月総選挙を行う考えをしめした。チプラスチプラス自身有権者に対して正直でありたい述べ2015年1月総選挙の際に急進左派連合提示した公約守れなかったことを認めた2015年8月中旬ギリシャEUからの金銭支援総額およそ860億ユーロのうちの130ユーロをうけとっている。だが例によってEUからの3度目融資を受ける条件として、ギリシャ財政引き締め施行するようにEUから要求されている。EUからの金銭支援承諾するかどうかについてSYRIZA内部で親ユーロ派と反ユーロ派の対立顕在化してきており、反ユーロ派は金銭支援のための関連法案反対票を投じている。財政引き締めによってギリシャ経済がさらに悪化することを反ユーロ派は懸念している。 チプラスSYRIZAの親ユーロ派は1月総選挙では財政支出引き締め反対すると宣言して選挙勝ったが、わずかその7か月後にその公約とは正反対公約掲げて有権者信を問うことになったチプラス2015年8月20日ギリシャ大統領プロコピス・パヴロプロス辞表届け提出した27日夜、最高裁判所長官バシリキ・タヌー暫定首相就任し総選挙までの間、暫定政権率いることとなった2015年9月20日行われた総選挙SYRIZAギリシャ議会300議席のうちの145議席獲得し第一党の座を堅持した。SYRIZA得票率は35.5%、第二党である新民主主義党得票率は28.1%であった黄金の夜明けが7%の得票率第三党人民連合得票率が3%に届かず議会での議席を失うことになった。この総選挙ギリシャ有権者チプラス再度チャンス与えたことになる。ギリシャ政府EU側から指示増税などを施行しなければならないが、債務減免などを交渉引き出して改革に伴う痛み軽減するチプラス宣言した与党急進左派連合勝利した総選挙結果により、9月21日チプラス首相に再び就任して第2次チプラス政権誕生した2019年5月欧州議会選挙敗北し10月までに予定されていたギリシャ総選挙英語版)を7月7日繰り上げた中道右派野党新民主主義党圧勝が確実となり、政権交代許した7月8日首相退任

※この「ギリシャ首相」の解説は、「アレクシス・ツィプラス」の解説の一部です。
「ギリシャ首相」を含む「アレクシス・ツィプラス」の記事については、「アレクシス・ツィプラス」の概要を参照ください。

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