ギリシャ首相
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「アレクシス・ツィプラス」の記事における「ギリシャ首相」の解説
2015年1月ギリシャ議会総選挙においてSYRIZAが第一党になったことにより、右派ポピュリズム政党の独立ギリシャ人と連立を組み、同年1月26日に40歳でギリシャの首相に就任し、過去150年間で最年少のギリシャ首相になった。これは欧州初の反緊縮政権となった。2018年10月17日より外相代行を兼任。 ツィプラスは結婚はしていないが、同棲相手の女性ペリステラ・バヅィアナとの間に二人の子供が誕生している。革命家のチェ・ゲバラを崇敬しており、次男のミドル・ネームにはゲバラの本名からエルネストと名付けている。またツィプラスは無神論者でもあり、首相就任宣誓式の時にも従来のようなギリシャ正教式の宣誓は行わなかった。また、公の場でも普段からネクタイを締めていない。 「2015年9月ギリシャ議会総選挙」も参照 2015年8月中旬にチプラスは首相辞意を表明し、9月に総選挙を行う考えをしめした。チプラスはチプラス自身が有権者に対して正直でありたいと述べ、2015年1月の総選挙の際に急進左派連合が提示した公約を守れなかったことを認めた。2015年8月中旬にギリシャはEUからの金銭支援総額およそ860億ユーロのうちの130億ユーロをうけとっている。だが例によってEUからの3度目の融資を受ける条件として、ギリシャが財政引き締めを施行するようにEUから要求されている。EUからの金銭支援を承諾するかどうかについてSYRIZA内部で親ユーロ派と反ユーロ派の対立が顕在化してきており、反ユーロ派は金銭支援のための関連法案に反対票を投じている。財政引き締めによってギリシャ経済がさらに悪化することを反ユーロ派は懸念している。 チプラスとSYRIZAの親ユーロ派は1月の総選挙では財政支出引き締めに反対すると宣言して選挙に勝ったが、わずかその7か月後にその公約とは正反対の公約を掲げて有権者の信を問うことになった。チプラスは2015年8月20日にギリシャ大統領プロコピス・パヴロプロスに辞表届けを提出した。27日夜、最高裁判所長官のバシリキ・タヌーが暫定首相に就任し総選挙までの間、暫定政権を率いることとなった。 2015年9月20日に行われた総選挙でSYRIZAがギリシャ議会300議席のうちの145議席を獲得し、第一党の座を堅持した。SYRIZAの得票率は35.5%、第二党である新民主主義党の得票率は28.1%であった。黄金の夜明けが7%の得票率で第三党、人民連合は得票率が3%に届かず議会での議席を失うことになった。この総選挙でギリシャ有権者はチプラスに再度チャンスを与えたことになる。ギリシャ政府はEU側からの指示で増税などを施行しなければならないが、債務減免などを交渉で引き出して改革に伴う痛みを軽減するとチプラスは宣言した。与党の急進左派連合が勝利した総選挙の結果により、9月21日にチプラスは首相に再び就任して第2次チプラス政権が誕生した。 2019年5月の欧州議会選挙で敗北し、10月までに予定されていたギリシャ総選挙(英語版)を7月7日に繰り上げた。中道右派の野党・新民主主義党の圧勝が確実となり、政権交代を許した。7月8日に首相を退任。
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