森本草介とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 画家 > 日本の画家 > 森本草介の意味・解説 

森本草介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/01 06:18 UTC 版)

森本 草介
もりもと そうすけ
生誕 (1937-08-14) 1937年8月14日
日本 朝鮮全羅北道
死没 (2015-10-01) 2015年10月1日(78歳没)
日本 千葉県鎌ケ谷市
国籍 日本
著名な実績絵画洋画
代表作『森本草介展図録』 (1977)
『森本草介画集』 (1984)
『光の方へ』 (2012)

森本 草介(もりもと そうすけ、1937年8月14日 - 2015年10月1日)は、日本洋画家である。

生い立ち

1937年昭和12年)、画家・森本仁平の長男として朝鮮全羅北道に生まれる[1]大東亜戦争中の1943年(昭和18年)に内地へ帰ったものの再度朝鮮へ戻り、1945年(昭和20年)に日本が敗戦すると、一家での逃避行を強いられた。岩手・東京で育つ[1]。子の森本純(1970- )も画家で美人画を描く。

経歴

1951年(昭和26年)墨田区立堅川中学校へ転入学。

1958年(昭和33年)、東京芸術大学絵画科油画専攻に入学し、在学中の1961年(昭和36年)に安宅賞を受賞した。1962年(昭和37年)に大学を卒業すると専攻科に進んで翌年に修了、東京芸術大学の助手となった。

1963年(昭和38年)国画会第37回展に初出品し、初入選[1]1966年(昭和41年)には国画賞を受賞、助手職を辞した。

1969年(昭和44年)、国画会会員に推挙される[1]

1969年(昭和44年)、「十騎会」の結成に加わる。静物画風景画に、精密な画法で評価を得るが、1979年(昭和54年)頃、女性画のモデルを発見、以後このモデルを使って裸婦、着衣婦人画を数多く制作する。

森本の作品の最大の収集者は、千葉県千葉市ホキ美術館であり、同館には森本の作品36点が収蔵・展示されている[2]

2015年平成27年)10月1日、心不全のため千葉県鎌ケ谷市の自宅にて死去。78歳没[3]

画集

  • 『森本草介展図録』(日動画廊、1977年)
  • 『森本草介画集』(講談社、1984年)
  • 『森本草介画集』(求龍堂、1995年)
  • 『光の方へ 森本草介(画集)』(求龍堂、2012年)

参考文献

  • 『写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く』安田茂美・松井文恵著 ホキ美術館監修 生活の友社 2015年11月1日 ISBN 978-4915919978

脚注

  1. ^ a b c d 「追悼・森本草介」『月刊アートコレクターズ2015年12月号』第8巻第12号、生活の友社、12-17頁、2015年12月10日閲覧 
  2. ^ 「ホキ美術館について」 ホキ美術館の案内書(2011年5月版)
  3. ^ “洋画家の森本草介氏が死去”. 産経ニュース (産経新聞社). (2015年10月17日). https://www.sankei.com/article/20151017-SXSES4CM5ZKSDGPS5V7S2M2HKE/ 2015年10月17日閲覧。 



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「森本草介」の関連用語

森本草介のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



森本草介のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの森本草介 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS