1943とは? わかりやすく解説

1943

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 10:06 UTC 版)

1943千九百四十三一九四三、せんきゅうひゃくよんじゅうさん)は、自然数または整数において、1942の次で1944の前の数である。




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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 18:08 UTC 版)

タスカルーサ (重巡洋艦)」の記事における「1943」の解説

修理の後、タスカルーサ1943年3月から5月の間は北アフリカ戦線対する、米英軍のほか自由フランス軍乗せた輸送船団護衛チュニジア向かった。その一方でスピード生かして大西洋突破するドイツ封鎖破り船に対す警戒行った5月下旬には、チャーチル首相乗せニューヨークに向かう輸送船クイーン・メリー (RMS Queen Mary) を護衛したその後タスカルーサオーガスタ合流しボストン海軍工廠10日間の整備行った整備後、タスカルーサレンジャーとともに輸送船クイーン・エリザベス (Queen Elizabeth) をハリファックスからスカパ・フローまで護衛スカパ・フロー到着後は、北海での行動経てイギリス本国艦隊の下で再び行動することとなった10月2日タスカルーサレンジャーは、ノルウェーボードーにあるドイツ軍施設港湾攻撃するリーダー作戦参加。これは、ヨーロッパ方面におけるアメリカ空母艦載機による初めての空襲作戦だった。ドイツ空軍機が反撃してきたが、上空警戒戦闘機により撃墜された。間もなくティルピッツ出撃し、スピッツベルゲン島に対して艦砲射撃行った後、すぐに姿をくらましたタスカルーサは、冬が来る前にスピッツベルゲン島対す輸送作戦参加した10月17日物資積んだ2隻のLCVPタスカルーサ英米の4隻の駆逐艦護衛しセイディスフィヨルド出撃イギリス戦艦アンソン (HMS Anson, 79)、イギリス重巡洋艦ノーフォーク (HMS Norfolk, 78)、レンジャーおよび6隻の駆逐艦が間接護衛についた19日朝、タスカルーサLCVPスピッツベルゲン島到着外洋駆逐艦対潜警戒を行う中、タスカルーサ測候所復旧する160人の工員上陸させ、物資下ろした夕方までには一切作業終わりタスカルーサセイディスフィヨルド帰投し、元来スピッツベルゲン島守備隊員をクライド乗せていった。タスカルーサアイスランド向かった際、ドイツ艦隊誘い出すべくノルウェー沿岸部行動したが、ドイツ艦隊出てこなかった。タスカルーサ本国艦隊外れ12月3日ニューヨーク到着してオーバーホール入った

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:06 UTC 版)

スワニー (護衛空母)」の記事における「1943」の解説

南太平洋到着してからのスワニーは、約7ヵ月間にわたってガダルカナル島海兵隊対す補給船団護衛従事しソロモン諸島島伝い北上していく味方の間接援護行ったスワニーニューカレドニアガダルカナル島の他、エファテ島エスピリトゥサント島にも立ち寄ったスワニー10月サンディエゴ帰投し、11月5日までにはエスピリトゥサント島進出した11月13日スワニーガルヴァニック作戦参加するため出撃11月19日から23日にかけて、スワニー南部攻撃部隊空中援護担当しながらタラワ攻撃行った。この時、マキンの戦い担当する北部攻撃部隊は、依然ブタリタリ攻撃中だった。作戦終了後護衛空母群は真珠湾経由アメリカ本国向かいスワニー12月21日サンディエゴ帰投した。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:04 UTC 版)

サンガモン (護衛空母)」の記事における「1943」の解説

1943年1月中旬、サンガモンはエファテ島到着し同地で第22空母群 (CarDiv22) を編成次の8ヵ月間、合流してきたスワニー (USS Suwannee, CVE-27) およびシェナンゴ (USS Chenango, CVE-28) とともにニューカレドニアニューヘブリディーズ諸島およびソロモン諸島を結ぶ海域行動したまた、ガダルカナル島行き補給船団およびラッセル諸島急襲部隊護衛にも出動した4月5日E・Pムーア艦長着任し7月15日には CVE-26 (護衛空母)に艦種変更された。8月、サンガモンは拠点エファテ島からエスピリトゥサント島移動させたが、9月入ってメア・アイランド海軍造船所オーバーホールを受けるためアメリカ本国向かったオーバーホールでは、操舵室戦闘情報センター室が更新された。 10月19日、サンガモンは第37混成航空隊 (VC-37) を乗せてサンディエゴ出港しエスピリトゥサント島向かった。サンガモンは11月13日に第53任務部隊ハリー・W・ヒル英語版少将)に合流してギルバート諸島海域到着11月20日からのタラワの戦いでは2日間にわたってタラワ日本軍に対して攻撃繰り返したその後12月6日まで、空中警戒待機味方部隊対す対潜哨戒続行した作戦終了後、サンガモンはサンディエゴ帰投した。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 10:18 UTC 版)

ホーエル (DD-533)」の記事における「1943」の解説

ホーエルはサンフランシスコベスレヘム・スチール1942年6月4日起工し12月19日にホーエル中佐孫娘であるチャールズ・ブンカー・クレーン・ジュニア夫人によって進水艦長ウィリアム・ドウ・トーマス中佐指揮の下1943年7月19日就役する就役後、ホーエルは8月16日サンフランシスコ湾出港してサンディエゴ向かったが、その道中で慣熟訓練と7発の爆雷使って結果判明していなかった水中音響聴取テスト実施した実戦向けた最終的な改修のため9月17日からメア・アイランド海軍造船所入り改修作業終了後10月26日に第47駆逐部隊編入され輸送船団加わりサンフランシスコ出港10月31日真珠湾到着後、第47駆逐部隊司令A・Oクック大佐旗艦をヒーアマン(USS Heermann, DD-532)からホーエルに移した間もなく、ホーエルは第5艦隊レイモンド・スプルーアンス中将)に編入されリッチモンド・K・ターナー少将率いる第52任務部隊属することとなり、ギルバート諸島奪取ガルヴァニック作戦参加することとなった作戦際しヘンリー・M・ムリニクス少将率いる第52.3任務群の3隻の護衛空母リスカム・ベイ (USS Liscome Bay, CVE-56) 、コーラル・シー (USS Coral Sea, CVE-57) およびコレヒドール (USS Corregidor, CVE-58) を駆逐艦モリス英語版)(USS Morris, DD-417)、フランクス英語版)(USS Franks, DD-554)、ヒューズ英語版)(USS Hughes, DD-410)および掃海艇リヴェンジ英語版)(USS Revenge, AM-110)とともに護衛する11月10日、第52.3任務群は真珠湾出撃し、マキン環礁に向かう。11月20日早暁、第52.3任務群は「ベビー空母baby flattops)」と通称された攻撃隊を発進させてマキン空襲させ、マキンの戦い始まった。続く3日間、第52.3任務群は艦載機をもってマキン上陸したラルフ・C・スミス英語版陸軍少将の第27歩兵師団英語版)の支援にあたる。海と空からの攻撃マキン日本軍拠点次々と破られていった。しかし、11月24日早朝日本海軍伊号第一七五潜水艦伊175)が第52.3任務群に接近し魚雷発射してリスカム・ベイ命中させる逸れた2本目魚雷コーラル・シーをかすめ去るのが目撃された。リスカム・ベイは大爆発起こし、ホーエルはリスカム・ベイから立ち上る300メートルほどの煙を目撃したリスカム・ベイは炎と赤く焼けただれた部品吹き上げたあと23分で沈没し、ムリニクス少将リスカム・ベイ艦長アーヴィング・D・ウィルトジー(英語版大佐642名が艦と運命を共にした。ホーエルら第52.3任務群の駆逐艦272名の生存者救助した。翌11月25日夕刻、第52任務部隊日本機の空襲を受け、日本機はパラシュート付の照明弾投下して魚雷13発射したが、第52任務部隊巧み回避運動被害一つも受けなかった(ギルバート諸島沖航空戦)。 第52.3任務群は11月27日マキン沖を離れ、ホーエルはアベママ島英語版攻略部隊編入される翌朝、ホーエルはターナー少将任務部隊本体合流し12月1日タラワから8キロ離れた沖合到着し環礁外で対潜哨戒従事した2日後、ホーエルは戦艦テネシー (USS Tennessee, BB-43) と輸送船団護衛して真珠湾向かい12月11日到着3日後の12月14日クック大佐部隊旗艦をホーエルからマッコード(英語版)(USS McCord, DD-534)に移した

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1943

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/28 13:27 UTC 版)

オークランド (軽巡洋艦)」の記事における「1943」の解説

オークランド1943年夏からのサンディエゴ沖での訓練航海経て11月3日真珠湾到着したオークランドフナフティ島近海進出し、3隻の重巡洋艦および2隻の駆逐艦と第50.3任務群を構成しガルヴァニック作戦支援行った任務群はギルバート諸島での水陸両用作戦援護し機動部隊11月19日から空中援護開始した日本側は航空部隊繰り出し20日午後から機動部隊攻撃したギルバート諸島沖航空戦)。オークランド対空砲火により機動部隊接近した2機を撃墜し別の2機を追い払った11月26日から、機動部隊マーシャル諸島北東海域で再び日本機の空襲受けたオークランド対空砲火日本機を撃退し続けたものの、12月4日23時32分に空母レキシントン (USS Lexington, CV-16) の艦尾魚雷命中しオークランド損傷したレキシントン護衛して後方に下がり、12月9日真珠湾帰投した。

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