1942年後半
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「ノーザンプトン (重巡洋艦)」の記事における「1942年後半」の解説
8月中旬、第17任務部隊(空母ホーネット、重巡ノーザンプトン、重巡ペンサコーラ、軽巡サンディエゴ、駆逐艦6隻)は南西太平洋へ向かい、ガダルカナル島攻防戦に参加した。第17任務部隊が航海中の8月24日、第二次ソロモン海戦で第16任務部隊の空母エンタープライズが中破、戦線を離脱した。8月31日、第11任務部隊の空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) が伊26の雷撃で損傷し、フレッチャー提督も負傷した。南東方面で健在のアメリカ軍正規空母は、第18任務部隊のワスプ(ノイズ少将旗艦)と、第17任務部隊のホーネットに減少した。 9月15日、サンクリストバル島南東を行動中の第17任務部隊と第18任務部隊を、日本潜水艦伊19が襲撃する。酸素魚雷6本が発射され、このうち魚雷3本が命中した空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) は、大火災の末に処分された。残りの魚雷3本は第17任務部隊の方向に駛走し、新鋭戦艦ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) と駆逐艦オブライエン (USS O'Brien, DD-415) に命中した。後者はその損傷が元で後日沈没した。ノースカロライナも修理のために戦線を離脱した。太平洋で作戦行動をとれるアメリカ軍の正規空母は、ホーネット(健在)とエンタープライズ(修理中)だけになった。 南太平洋海戦時、第17任務部隊はジョージ・D・マレー少将が指揮し、空母ホーネット(マレー少将旗艦)、重巡ペンサコーラ、重巡ノーザンプトン、軽巡サンディエゴ (USS San Diego, CL-53) 、軽巡ジュノー (USS Juneau, CL-52) 、駆逐艦6隻で編成されていた。10月24日、第二次ソロモン海戦の損傷から復帰したエンタープライズと、新鋭の戦艦サウスダコタ (USS South Dakota, BB-57)、重巡ポートランド (USS Portland, CA-33) 、軽巡サンフアン (USS San Juan, CL-54) を基幹とする第16任務部隊が、第17任務部隊に合流した。この2つの任務部隊を、エンタープライズ座乗のトーマス・C・キンケイド少将が指揮する。 10月26日の南太平洋海戦における第16任務部隊と第17任務部隊は、日本軍機動部隊(第二艦隊司令長官近藤信竹中将、第三艦隊司令長官南雲忠一中将)と交戦する。まず翔鶴飛行隊長村田重治少佐が指揮する第一航空戦隊第一次攻撃隊が第17任務部隊を襲う。直衛機や対空砲火で村田少佐機を含む多数の日本機を撃墜したが、ホーネットも魚雷と爆弾の命中で航行不能になった。マレー少将はペンサコーラに移乗した。ノーザンプトンはホーネットの曳航を命じられたが、曳航作業中に第二航空戦隊(隼鷹)第二次攻撃隊が空襲を開始する。ノーザンプトンは3ノットでホーネットを曳航していたが、曳航を中止せざるを得なかった。ノーザンプトンは九七艦攻が投下した魚雷を回避したが、ホーネットに魚雷1本(日本側記録3本以上)が命中し傾斜が増大した。さらに一航戦第三次攻撃隊(零戦5、艦爆2、艦攻6〈爆装〉)と二航戦第三次攻撃隊(零戦6、艦爆4)がホーネットを攻撃して爆弾2発が命中(水平爆撃1、急降下爆撃1)、同艦は放棄されるに至った。ノーザンプトンと僚艦はホーネット乗組員を救助し、戦場を離脱した。駆逐艦マスティン(英語版)とアンダーソン(英語版)が、ホーネットを処分するため残された。だが処分完了前に近藤長官の前進部隊(第二艦隊)においつかれ、ホーネットは駆逐艦秋雲と巻雲の魚雷で撃沈された。
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