レジスタンスとドイツ軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:22 UTC 版)
「ステン短機関銃」の記事における「レジスタンスとドイツ軍」の解説
供給先としてイギリス軍はもちろんのこと、当時ドイツ軍に対しゲリラ攻撃を行っていたフランスほかヨーロッパ諸国のレジスタンスに対しても盛んに供給され、またデンマークのように現地でコピー生産された例もある。 小型軽量なステンMk.IIは弾倉を外し、ストックとバレルを分解すると大きめのハンドバッグにも収納可能なため隠密行動に適し、組み立ても簡単だった。しかも使用する9ミリパラベラム弾はドイツ軍装備の収奪で賄えるなど、レジスタンスが使うには多くの面で好都合だったのである。中にはポーランドのブリスカヴィカのようにレジスタンス組織がステンを基に独自改良型の短機関銃を設計した例もあった。 占領下デンマークで形成された抵抗運動が最初に入手したのは、支援として投下されたイギリス製Mk.IIであった。その後、抵抗運動の規模が大きくなるに従って、火器の需要を満たすべく、これを国内でコピーすることが試みられた。部品は各地の小規模な作業場で作られた。様々な抵抗運動グループが各々で製造した上、入手可能な材料の都合から、細部のデザインが異なるものが多数確認されている。銃身の加工は困難だったが、小銃用銃身を再加工した上で流用し、解決が図られた。スオミ銃用の弾倉が使えるモデルもあった。アルミ鋳造の部品を用いたモデルもあり、リンゲン・ステン(Ringen Sten)として知られる。 ノルウェーの抵抗運動もステンガンのコピーを試みた。ノルウェー製ステンガンも、各地の小規模な作業場で部品が作られ、また別の場所で組み立てられていた。元々右にあったトリガー固定用のピンが左に移されている点がノルウェー製ステンガンの特徴である。製造地を秘匿する目的で、イギリス製と全く同一の刻印が施されているものも多かった。 ポーランドには1942年後半に初めてMk.IIが投下され、まもなくして各地でのコピー生産が始まった。品質にばらつきはあったものの、ポーランドはステンガンを最も大量に製造した国の1つとなった。 大量に供給されたことからドイツ軍の手に落ちる機会も多く、ドイツ軍では鹵獲したステンガンにMP749(e)の名称を付与し、大戦末期には国民突撃隊に配備が行われた。ゲレート・ポツダム(Gerät Potsdam, ポツダム器材)は、モーゼル社がステンガンをコピーしたもので、10,000丁が発注された。その後、さらに設計の簡素化が求められた末、ゲレート・ノイミュンスター(Gerät Neumünster, ノイミュンスター器材)が設計された。ゲレート・ノイミュンスターはマガジンハウジングが垂直方向に固定されており、弾倉はMP40のものがそのまま使えた。これに合わせてボルトの形状も変更されている。また、銃身も固定されていた。
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