レジスタンスのシンボルとしてのモノグラム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:47 UTC 版)
「モノグラム」の記事における「レジスタンスのシンボルとしてのモノグラム」の解説
王室のモノグラムの代表的な例として、ノルウェー国王ホーコン7世の"H7(英語版)"のモノグラムがある。第二次世界大戦中にノルウェーはドイツに占領された。ホーコン7世はイギリスに亡命したが、ドイツ占領下のノルウェー(英語版)のレジスタンス活動の先頭に立った。"H7"のモノグラムは、国王への連帯感と忠誠心、ノルウェーのレジスタンス活動への支持を示すシンボルとして、ノルウェー国民の間で使用された。ドイツ占領下のノルウェーでは、H7のシンボルを描いたり作成したりする行為は、投獄の対象となった.。 第二次世界大戦中のポーランドでは、"PW"のモノグラムがレジスタンスのシンボルとして使われており、その特徴的な形から「錨」(ポーランド語: Kotwica)と呼ばれていた。その意味は様々で、「戦うポーランド」「ワルシャワ蜂起」「ポーランド軍」など、様々なスローガンの頭文字として使われていた。ノルウェーの例と同様、その使用はナチスの占領当局によって罰せられた。
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