ガダルカナル島攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 08:51 UTC 版)
「サンフランシスコ (重巡洋艦)」の記事における「ガダルカナル島攻防戦」の解説
8月7日、連合軍が発動したウォッチタワー作戦により、ガダルカナル島とツラギ島(フロリダ諸島)への上陸に端を発するガダルカナル島の戦いが始まった。初期のガ島攻防戦において、フランク・フレッチャー中将が指揮する第61任務部隊(英語版)(空母サラトガ、エンタープライズ、ワスプ、戦艦ノースカロライナ、重巡5、軽巡2、随伴駆逐艦)が航空支援を提供した。サンフランシスコは終日にわたってアメリカ軍の上陸を援護した。この後、サンフランシスコは第18任務部隊(司令官レイ・ノイズ(英語版)少将、旗艦ワスプ)に入り、第一次ソロモン海戦で軽巡サンフアン (USS San Juan, CL-54) に将旗を掲げていたノーマン・スコット少将は、サンフランシスコに旗艦を変更した。 8月31日、フレッチャー提督の旗艦サラトガが伊26に雷撃されて被雷、約3ヶ月の修理を余儀なくされた。9月3日、サンフランシスコは補給のためヌメアに向かった。補給が終わると9月8日に出撃し、9月11日に第17任務部隊(英語版)(司令官ジョージ・D・マレー少将)の空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) と合同して洋上給油をおこなう。9月14日、ガダルカナル島向け増援部隊を乗せたアメリカ軍輸送船団はニューヘブリディーズ諸島を出撃した。南太平洋部隊司令官ロバート・L・ゴームレー中将の命令により、ワスプとホーネットを基幹とする任務部隊は輸送船団の間接護衛をおこなう。 9月15日14時50分ごろ、第18任務部隊の旗艦ワスプ (USS Wasp, CV-7) と、第17任務部隊でホーネットを護衛していた戦艦ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) と駆逐艦オブライエン (USS O'Brien, DD-415) に、伊19の発射した酸素魚雷が命中した。ワスプは大火災となった。これを見て、スコット少将は臨時に部隊を指揮した。サンフランシスコと重巡ソルトレイクシティ (USS Salt Lake City, CA-25) は15時20分までにワスプの曳航準備に取り掛かったが、ワスプの火勢は衰えず処分されることとなった。軽巡ヘレナなど周囲の艦艇にワスプ乗組員が移乗した後、駆逐艦ランズダウン (USS Lansdowne, DD-486) がワスプに向けて魚雷を発射し処分した。ホーネットだけになった米軍機動部隊は、出迎えにきた戦艦ワシントン部隊や別働隊(ソルトレイクシティ、ヘレナ、アトランタ、駆逐艦3)と合流し、エスピリトゥサント島に後退した。9月17日朝、第18任務部隊のうち重巡サンフランシスコ、軽巡ジュノー (USS Juneau, CL-52) および5隻の駆逐艦は第17任務部隊に合流して輸送船団の護衛にあたり、残りの艦艇はワスプの生存者を乗せてヌメアに向かった。 9月23日、部隊の編成が変わり、重巡サンフランシスコ、ミネアポリス、ソルトレイクシティ、チェスター (USS Chester, CA-27) 、軽巡ボイシ (USS Boise, CL-47) 、ヘレナ (USS Helena, CL-50) および第12駆逐艦群を以って第64任務部隊 (Task Force 64) が編成され、司令官にはスコット少将がついた。スコット少将はひきつづきサンフランシスコに将旗を掲げた。翌日、部隊はニューヘブリディーズ諸島に向かった。
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