ニューギニア重視の姿勢とは? わかりやすく解説

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ニューギニア重視の姿勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 06:38 UTC 版)

ビスマルク海海戦」の記事における「ニューギニア重視の姿勢」の解説

1942年昭和17年12月31日大本営御前会議において、日本軍ガダルカナル島からの撤退正式に決定するガ島撤収後北部中部ソロモン群島防備固めとともに東部ニューギニアでの作戦重視することになった翌年1月4日大陸命732号、大海令第23号など)。昭和天皇は「ただガ島止めだだけではいかぬ。何処か攻勢に出なければならない。」と指導したので、大本営ニューギニア作戦重点を置くことになった大本営陸軍部は、陸地続きニューギニア戦線ならば負けるはずがなく、ポートモレスビー包囲努力次第では可能とみていた。またラバウル根拠地をおく第八方面軍司令官今村均陸軍中将)の任務は「第八方面軍司令官大陸命第七十五号ニ拘ラス海軍協同シ「ソロモン群島及「ビスマルク群島ノ各要域ヲ確保スルト共ニ「ニューギニヤ」ノ要域ヲ攻略確保シテ方面ニ於ケル爾後作戦準備スヘシ」(昭和18年1月4日大陸命732号)と定められた。大本営強気とは裏腹に第八方面軍ニューギニア戦線についても悲観的な見方をしていた。実際問題としてニューギニア方面制空権連合軍掌握しており、日本軍駆逐艦輸送鼠輸送)ですら空襲受けて損害を受ける事例増えていた。 1943年昭和18年2月1日から2月7日にかけて、日本軍ガダルカナル島から撤退したガダルカナル島撤収作戦)。同時期、連合軍ニューギニア島方面でも攻勢出ており、日本軍パプアニューギニア方面戦いで窮地追い込まれる1月2日には東部ブナ守備隊玉砕していた(ポートモレスビー作戦)。1月13日には、第十八軍がブナ支隊長(独立混成21旅団長山縣陸軍少将)にラエ・サラモアへの後退命令発令1月下旬より撤収作戦はじまったブナ支隊2月上旬までに撤退した。そこで日本軍大本営昭和天皇出席指導のもと、連合軍次の攻撃目標予測されるパプアニューギニアの各拠点陸軍部隊送り侵攻備えることにした。この作戦投入され日本陸軍51師団は、ガダルカナル島攻防戦投入予定して12月中旬中国大陸からラバウル到着八号演習輸送)。ガ島攻防戦戦局変化および終結にともないラバウル足止めされていた部隊であった詳細は「ラエ・サラモアの戦い#背景」を参照 1943年昭和18年1月初頭実施されラエへの第51師団輸送作戦十八作戦」は、駆逐艦5隻と輸送船5隻の船団1月5日ラバウル出発7日-8日歩兵第102連隊からなる岡部支隊現地到着した輸送船2隻を失ったが、作戦おおむね成功した1月中旬から下旬にかけてウェワク方面対し「丙一号輸送」が実施され成功した詳細は「ラエ・サラモアの戦い#第十八号作戦」を参照

※この「ニューギニア重視の姿勢」の解説は、「ビスマルク海海戦」の解説の一部です。
「ニューギニア重視の姿勢」を含む「ビスマルク海海戦」の記事については、「ビスマルク海海戦」の概要を参照ください。

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