ニューギニア作戦とは? わかりやすく解説

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ニューギニア作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 04:35 UTC 版)

第5師団 (日本軍)」の記事における「ニューギニア作戦」の解説

詳細は「ニューギニアの戦い」を参照 1942年7月18日南海支隊戦車中隊近接支援砲兵中隊増援受けて1942年7月31日ポートモレスビー作戦への参加を命ぜられた。1942年8月16日ラバウル中継地点到着し1942年8月19日矢沢支隊聖川丸妙高乗船して1942年8月21日ニューギニア島ゴナ上陸したココダ道の戦いの間、矢沢支隊予備兵力として待機していた。ココダ道の戦い内陸進んだ1942年9月6~9日の峠での戦いの間、矢沢支隊ブナ近辺のギルア川口への道を開き、そこで1942年9月24日から始まった補給物資増援部隊揚陸の安全を確保していた。1942年10月29日144連隊などの退却援護のため、矢沢支隊内陸のオイヴィ谷で防御当たっていた。1942年11月4日オーストラリア軍優勢な兵力攻撃し矢沢支隊潰走させた。矢沢支隊の残る900名は辛うじて包囲脱出して北東のAjura Kijala山地密林の中へ逃げた。オイヴィ谷に残っていた部隊1942年11月28日までに掃討された。矢沢支隊敗残兵11月28日までにゴナの北のクムシ川河口付近到達したが、重装備全て放棄してきた上にマラリア罹患率がほぼ100%であったため、ほぼ戦闘力失っていた。このためマラリヤやられた兵の大部分11月29日にギルア河口まで上陸用舟艇送られたが、連合軍航空攻撃により海上数百名を失った健康な兵は陸上行軍し12月2日にギルア河口到着した1942年12月31日矢沢大佐敗残兵寄せ集めた混成部隊伴ってブナへの絶望的な救援任務命令した1943年1月2日ブナ陥落し任務撤回されたが、それでもなお矢沢支隊連合軍戦闘哨戒隊と戦闘してブナから逃げてくる約190名の兵の救出した1943年1月20日ゴナへの撤退失敗し矢沢支隊壊滅した日本軍前線戻れたのはわずか数名のみであった

※この「ニューギニア作戦」の解説は、「第5師団 (日本軍)」の解説の一部です。
「ニューギニア作戦」を含む「第5師団 (日本軍)」の記事については、「第5師団 (日本軍)」の概要を参照ください。

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