ニューギニア南岸とトレス海峡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/28 23:05 UTC 版)
「ルイス・バーエス・デ・トーレス」の記事における「ニューギニア南岸とトレス海峡」の解説
1606年6月26日に、「サン・ペドロ」号と「3人の王たち」号はトーレスの指揮の下、マニラへの針路を取った。逆風のため、彼らはニューギニア北岸に沿う最短経路を取れなかった。プラドの報告によると、彼らは1606年7月14日に陸地を見つけている。それはおそらくニューギニアの南東に位置するルイジアード諸島のタグラ島であった。航海は2か月以上も続けられ、幾度もの上陸により、スペイン領に行き着けるだけの水と食料が補充された。スペイン人たちは、時には原住民と暴力的な接触をもった。プラドとトーレスは妊婦を含む20人を捕虜にしたことを記録している。プラドはパプア湾での停泊地の海図を多数スケッチしており、何枚かは現存している。 長年の間、トーレスはニューギニア寄りの航路でトレス海峡(150kmの幅がある)を通過したのだと考えられてきた。しかし1980年にオーストラリアの歴史家ブレット・ヒルダーが論証したところでは、トレスの航路はもっとオーストラリア寄りであり、彼が通ったのは現在エンデヴァー海峡(プリンス・オブ・ウェールズ島とオーストラリア本土の間)と呼ばれている海域だという。この探検航海によってニューギニアが大陸の一部ではないことが証明された。 10月27日、トレスはニューギニアの西端に達し、ハルマヘラ海へ向けて北上した。1607年1月初旬にスペイン領のテルナテ島に到達した。3月1日にマニラに向けて出帆し、3月22日に到着。
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