あ号作戦計画とは? わかりやすく解説

あ号作戦計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)

太平洋戦争」の記事における「あ号作戦計画」の解説

日本海軍は、マリアナ諸島カロリン諸島西部ニューギニアを結ぶ三角地帯に邀撃帯を設けて機動部隊基地航空隊により、アメリカ軍侵攻部隊に対して一大反撃加え作戦構想1944年5月3日軍令部による「連合艦隊当面準拠スベキ作戦方針」で決戦構想の「あ号作戦」が策定された。決戦地の選定にあたって日本海軍アメリカ軍侵攻が西カロリンパラオ諸島マリアナのどっちが先かはなかなか判断できなかったが、結果的にパラオが先という判断となった日本海軍作戦準備として第一機動艦隊空母9隻、搭載機数約440機)を新設すると共に基地航空隊第一航空艦隊中部太平洋配置した機動部隊艦載機航空基地からの陸上機によって、アメリカ軍侵攻艦隊挟撃して撃滅しようという作戦計画であったが、第1航空艦隊基地航空隊定数1,750機と表面上は大戦力ながら、実際に配備されたのはその半数750機でうち可動機は500程度にすぎなかった。 一方でアメリカ統合参謀本部マリアナ侵攻決定激怒したマッカーサーであったが、ニューギニア作戦集大成と、ニミッツによるフォレージャー作戦支援の航空基地確保のため、ニューギニア西部ビアク島攻略決めたビアク島には日本軍設営した飛行場があり、マリアナ攻略航空支援基地として重要な位置にあった1944年5月27日第6軍 司令官ウォルター・クルーガー中将率い大部隊がビアク島上陸しビアク島の戦い始まったビアク守備隊支隊長の歩兵222連隊長葛目直幸大佐は、上陸部隊内陸引き込んで巧みに構築した陣地迎え撃つこととした。第41歩兵師団英語版)は日本軍守備隊巧み戦いで苦戦しマリアナ作戦迫っているのに、ビアク島攻略遅遅として進まないことでニミッツに対して恥をかく考えたマッカーサーは、師団長ホレース・フラー(英語版少将上陸部隊司令官と第41歩兵師団師団長から更迭した。しかし、師団長挿げ替えても戦況大きく好転することはなく、ビアク島飛行場稼働し始めたのは6月22日になり、サイパンの戦いにもマリアナ沖海戦にも間に合わなかった。ビアク島攻略後にマッカーサーフラーの名誉を回復させるため功労勲章英語版)を授与したが、ビアク島の戦いマッカーサーにとってもフラーにとっても敗戦に近いような後味の悪い戦いとなった大本営は、アメリカ軍次の侵攻先を判断しかねていたが、ビアク島マッカーサー侵攻してきたことによって、連合軍戦力一本化し西部ニューギニアからパラオ諸島侵攻してくると誤った判断をし、「渾作戦」を発動した。大和、武蔵戦艦部隊送ってアメリカ軍機動部隊誘引を図ると共にマリアナ第1航空艦隊61航空戦隊の可動350機の約半数作戦への投入決定されインドネシアモルッカ諸島にあるハルマヘラ島飛び立った。これらビアクを巡る戦いによって、アメリカ軍にその意図はなかったが、結果的に陽動となって日本軍関心ビアク集中してしまい、マリアナへのアメリカ軍侵攻を許すこととなってしまった。

※この「あ号作戦計画」の解説は、「太平洋戦争」の解説の一部です。
「あ号作戦計画」を含む「太平洋戦争」の記事については、「太平洋戦争」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「あ号作戦計画」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「あ号作戦計画」の関連用語

あ号作戦計画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



あ号作戦計画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの太平洋戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS