「あ」号作戦計画とは? わかりやすく解説

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「あ」号作戦計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:48 UTC 版)

サイパンの戦い」の記事における「「あ」号作戦計画」の解説

迷走する日本軍の作戦方針に対してアメリカ軍侵攻は急であり、1944年2月にはかつて連合艦隊決戦場と主張していたマーシャル侵攻しこれを占領してしまった。また、1944年2月17日トラック島空襲や、それに続くマリアナへの空襲もあり、いよいよ絶対国防圏連合軍脅威さらされるなか、その中核であるはずのマリアナには陸軍部隊はおらず、この状況憂慮し昭和天皇が「今後は遅れをとらぬよう後方要線を固めよ」と陸海軍両総長に異例苦言呈したため、ようやくマリアナ防備態勢強化進められることとなった大本営第13師団代わる部隊選定をしていたが、関東軍から第29師団師団長高品彪中将)を派遣することを決定、さらに、戦局緊迫化を理由内閣総理大臣陸軍大臣参謀総長三職兼ねていた東條英機の命で、1944年2月25日第31軍司令官小畑英良中将参謀長井桁敬治少将)を編成してマリアナ諸島パラオを含む西カロリン小笠原諸島防衛担当させることにした。昭和天皇小畑出発にあたってマリアナ諸島日本運命決する最後戦略線である。日本全力をもってこれを確保する必要がある軍司令官全日本国民期待応えるため最後御奉公をせよ」という言葉をかけている。 第29師団満州から釜山移動し2月24日には3隻の輸送艦分乗してまずはサイパン向けて出発した師団長の高品は大本営から「2個師団での防衛前提とした師団配備」「配備重点グアムとせよ」という命令受領しており、その命令に基づく戦力配置検討していた。2月29日には大東島200輸送船団航行中であったが、歩兵第18連隊師団直轄部隊乗船していたS型貨物船崎戸丸」がアメリカ潜水艦トラウト」の雷撃沈没、「トラウト」も護衛駆逐艦爆雷攻撃撃沈されたものの、乗船していた約4,000人のうち2,280人が戦死するとともに多く装備が海没するなど大損害を被ってしまい、高品は当初の計画変更してテニアンに向かう予定であった歩兵第18連隊サイパン戦力回復させることとした。その後第31軍隷下部隊として、関東軍日本本土から旅団師団規模部隊松輸送マリアナパラオなど太平洋正面島嶼続々送り込まれた。 海軍マーシャル失陥という事態を受け、トラック司令部のある第4艦隊では中部太平洋全域指揮をするのは困難と判断し陸軍第31軍編成並行して太平洋方面防衛統括する中部太平洋方面艦隊編成し司令官には南雲忠一中将親補され、司令部サイパン置かれた。指揮下には第4艦隊第十四航空艦隊があったが、艦隊といって軍艦は殆どなく、航空戦力についても、のちの「あ号作戦」にて、第一航空艦隊編入されることとなり、実質的に陸上部隊であった大本営今までの痛い経験から、陸海軍統一指揮体制重要性痛感しており、第31軍マリアナ方面防備担当する海軍連合艦隊司令長官指揮下に入って中部太平洋方面艦隊指揮を受ける形となった陸軍地上部隊海軍指揮下に入るのは、建軍以来初めてのことで日本陸軍としては大きな譲歩であり、東條南雲首相官邸に招くと「何とかサイパン死守して欲しい。サイパン落ちると、私は総理をやめなければならなくなる」と要請している。しかし、南雲参謀副長には陸軍田村義冨少将就き、また地上戦戦闘指揮は各師団長が行うという諒解もあっており、南雲陸軍部隊への指揮権形式的なものであった実際に南雲作戦について何らかの命令を出すことは殆どなく、酒宴などではいつも、植田国境作詞作曲大正時代歌謡曲白頭山節」の歌詞を「挙がる勝鬨真珠湾」などと一部変えた替え歌口ずさむなど、かつての真珠湾攻撃栄光浸っている様子であったという。 このほかにもサイパン島には海軍部隊司令部多く置かれ第六艦隊司令長官高木武雄中将、第1連合通信隊司令官伊藤安之少将第3水雷戦隊司令官中川少将南東方面航空長の佐藤源蔵少将高級指揮官集中しており、陸軍の高級将官多数いる中で、のちの戦闘指揮権混乱生じている。 2月29日アメリカ軍オーストラリア軍アドミラルティ侵攻してきた。大本営は、アメリカ軍アドミラルティ侵攻してきたことで、マリアナや西カロリン侵攻してくる危険性は一旦は遠のいたが、マリアナ侵攻してくる場合には、中間地点跳梁素通りしていきなり侵攻してくる可能性があると、今後アメリカ軍の戦略正確に予測した。そこで、西部ニューギニア派遣予定であった第14師団急遽マリアナ送って防備固めこととし3月20日第31軍戦闘序列加えた。しかし、3月30日アメリカ軍機動部隊によるパラオ大空襲があり、パラオ基地機能を失うような大打撃を被ると、大本営によるアメリカ軍侵攻方向判断がまた揺らぐこととなり、結局はマリアナより先にパラオ西ニューギニア侵攻してくる可能性が高いという判断至った。この判断によって、わずか10日前にマリアナ進出命じた第14師団急遽パラオに送ることとしその代わり後詰として4月7日になって43師団師団長斎藤義次中将)を日本本土よりマリアナに送ることとした。しかし、この決定時点では第43師団未だ動員すらされておらず、準備訓練出発まで1ヶ月以上を要することとなり、この遅れがのちのサイパン防衛準備重大な影響もたらすことになる。 パラオ大空襲に伴い海軍乙事件発生し古賀峯一連合艦隊司令長官殉職したが、古賀新Z号作戦策定しており、その計画によればマリアナ諸島〜西カロリン西部ニューギニアを結ぶ三角地帯に邀撃帯を設けて、2方面軍進攻してくるアメリカ軍迎え撃とうというものであった古賀殉職後もこの作戦計画進められアメリカ軍オーストラリア軍ニューギニア北岸ホーランジア侵攻してくると(ホーランジアの戦い)、大本営三角地帯の防備強化して一大反撃加え作戦構想を行うこととし軍令部中心となって5月3日には「連合艦隊当面準拠スベキ作戦方針」によって決戦構想の「あ号作戦」が策定された。決戦地の選定にあたって連合艦隊アメリカ軍侵攻パラオマリアナのどっちが先かはなかなか判断できなかったが、結局は大本営同様にパラオが先という判断となった。これには、軍令部航空部源田実大佐によれば「敵の来攻方向フィリピン目標とする西部ニューギニアと西カロリンであり、ダグラス・マッカーサーチェスター・ニミッツ兵力同時に別の方向に来攻するとは考えずニミッツ艦隊マッカーサー攻略部隊応じであろう判断していた」という一方的な判断と、連合艦隊泊地であったリンガ泊地や、「あ号作戦」の前進基地想定していたタウィタウィから比較近く、またパラオ大空襲多数タンカー喪失していたことから、なるべく油田地帯に近いパラオを含む西カロリン決戦地として都合がいいとする、日本軍の状況に基づく主観的な判断に基づくものであった。そのため、マリアナアメリカ軍侵攻してきた場合のことはあまり想定されておらず、連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将によれば、「パラオサイパンいずれに来ようとも万全備えとっていた」としているが、実際に基地航空部隊の対応方針決めていたものの、艦隊作戦方針については具体的に決められていないなど中途半端なものであった連合艦隊あ号作戦のため、第一機動艦隊空母9隻、搭載機数約440機)を新設すると共に基地航空隊第一航空艦隊中部太平洋配置した機動部隊艦載機航空基地からの陸上機によって、アメリカ軍侵攻艦隊挟撃して撃滅しようという作戦計画であり、マリアナ諸島には、第1航空艦隊61航空戦隊の零式艦上戦闘機サイパンに第261海軍航空隊と第265海軍航空隊テニアン第343海軍航空隊グアムに第202海軍航空隊と第263海軍航空隊)、月光テニアンに第321海軍航空隊)、彗星テニアンに第121海軍航空隊と第523海軍航空隊)、天山グアムに第551海軍航空隊)、一式陸上攻撃機テニアンに第761海軍航空隊グアムに第755海軍航空隊)、銀河グアムに第521海軍航空隊)が分遣された。しかし、第1航空艦隊基地航空隊定数1,750機と表面上は大戦であったが、実際に配備されたのはその半数750機でうち可動機は500程度にすぎず、うちアメリカ軍によるトラックパラオマリアナへの再三空襲による損害激しく5月15日時点でのマリアナ航空戦力275機にまで減っていた。基地航空隊増強備えるため、飛行場造成行われたサイパン島には既にアスリート飛行場現在のサイパン国際空港)が完成していた他、オレアイ海岸沿いとカグマン半島に2か所の飛行場造成であったが、さらに3月1日にはサイパン北端のパナデルにも新たな飛行場造成命じられサイパンには4個の飛行場造成されることとなった連合艦隊航空戦力加えて第六艦隊潜水艦隊マリアナ進出させて、作戦戦力加えこととしている。 松輸送によって、太平洋方面戦力増強進んでおり、第43師団第一陣や虎の子戦車第9連隊戦車73輌と戦車兵990人などがマリアナ到達したアメリカ軍多数潜水艦配置して日本軍輸送妨害図っていたが、輸送艦損失一部とどまり日本軍期待上の成果上げていた。しかし、輸送作戦後半の第3530船団は、第43師団第二陣などを輸送していたが、アメリカ海軍潜水艦執拗な攻撃によって船団6隻中5隻が沈没するなど大損害を受け、歩兵第118連隊は2,240人の将兵とほとんどの装備を失ない、他にも臼砲42門と戦車30輌などの重装備や、陣地構築用の建築資材多く海中没した第31軍司令官小畑サイパン司令部を置き、隷下戦力再編成再配置実施したテニアン以北担当する北部マリアナ地区集団指揮官斎藤義次43師団長)と、ロタ以南担当する南部マリアナ地区集団指揮官高品彪29師団長)を編成し、第43師団北部マリアナ地区集団組み込まれサイパン守備受け持ち、第29師団南部マリアナ地区集団主力としてグアム配置された。

※この「「あ」号作戦計画」の解説は、「サイパンの戦い」の解説の一部です。
「「あ」号作戦計画」を含む「サイパンの戦い」の記事については、「サイパンの戦い」の概要を参照ください。

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