歩兵第118連隊とは? わかりやすく解説

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歩兵第118連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 00:10 UTC 版)

歩兵第118連隊
豊橋公園内にある「此処に歩兵第百十八聯隊ありき」の碑。歩兵第118連隊はこの地で編成された。
創設 1941年
廃止 1944年(昭和19年)7月5日
所属政体 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 静岡県静岡市
編成地 愛知県豊橋市(現・豊橋公園
通称号/略称 誉11933
愛称 静岡連隊
上級単位 中部軍 - 第43師団
最終位置 南洋諸島北部支庁柄帆町
(現・ 北マリアナ連邦
戦歴 大東亜戦争第二次世界大戦
サイパンの戦い第3530船団
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歩兵第118連隊(ほへいだい118れんたい、歩兵第百十八聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。 同じく静岡県静岡市に本拠を置いた歩兵第34連隊などとともに静岡連隊(しずおかれんたい)と呼ばれた。

沿革

5月29日 - サイパン島に転進するため、松輸送の一環として編制された第3530船団に乗船し横浜港を出港
6月4日 - 「勝州丸」が撃沈
6月5日 - 「高岡丸」が撃沈
6月6日 - 「はあぶる丸」が撃沈、一連の輸送船の沈没で本連隊は連隊長伊藤豪以下2240名もの戦没者を出す。第3大隊長の大塚少佐が残存兵の指揮を執る
6月7日 - サイパン島に上陸し喪失した被服の受領をするも、アメリカ軍の攻撃が始まる。師団予備として使用される。
6月17日 - フィナスス山で第1大隊が戦うも山崎少佐以下ほとんどが戦死
6月22日 - 師団戦闘司令所が所在したチャチャで第3大隊が戦うも大塚大隊長以下ほとんどが戦死
6月26日 - タポチョ山に後退していた神田大尉以下27名が戦死。第43師団の他の連隊と共に総員玉砕
7月5日 - 歩兵第135連隊のそれと共に軍旗を奉焼し本連隊は終焉した。

歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 徳弘保衛 1941.4.1 -
2 伊藤豪 1943.6.10 - 1944.6.6 戦死(海没)

参考文献

関連項目




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