サイパンの防備準備の遅延とは? わかりやすく解説

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サイパンの防備準備の遅延

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:48 UTC 版)

サイパンの戦い」の記事における「サイパンの防備準備の遅延」の解説

太平洋戦争開戦時サイパンには日本海軍海軍陸戦隊第五根拠地隊司令官春日篤少将)が置かれグアムの戦い (1941年)ではアメリカ領土グアム島侵攻しているが、その後は、日本軍の攻勢による戦線の拡大もあってこの地域はしばらくは安泰であった。しかし、戦局日本側に不利となると戦力強化図られるようになり、日本海軍は、メナドマナド攻略作戦活躍した海軍空挺部隊である横須賀鎮守府第一特別陸戦隊司令官唐島辰男中佐900人を機動予備兵力としてサイパン派遣し南部アスリート飛行場現在のサイパン国際空港)、西岸タナパグ水上機基地最高峰タッポーチョ山標高473m)に電探を置くなど、軍事施設整備していった。1943年9月末にサイパン絶対国防圏中核拠点位置づけられてはいたが、前述通り海軍決戦思想陸軍作戦計画迷走もあって、肝心防備態勢構築は殆ど進んでいなかった。 日本軍守備計画日本軍伝統の「水際配置水際撃滅主義」による上陸部隊撃破主眼置かれていた。山がちなサイパン断崖続き周囲リーフ覆われており、大部の上陸に適している平坦な海浜南部西岸位置するガラパンからチャラン・カノアまでの約40kmに渡る海岸線しかない。そのため、この海岸地帯への防衛構築優先され戦車などを投入した大規模な反撃計画していた。しかし、当初からサイパン配置されていた日本海軍部隊は、陣地構築よりも飛行場の建設整備重視したため、資材人員アスリート飛行場拡張や、オレアイやカグマンの飛行場造成優先して回されていた。陸軍進出してきた後も、さらに大本営よりパナデルの飛行場造成命じられたため、南雲斎藤大本営方針守って飛行場造成優先し陣地構築は捗らなかった。特にパナデル飛行場については、友軍航空支援求める意味からも、守備隊玉砕する直前まで軍民総力挙げて造成続けられた。 3月サイパン陣地構築状況視察した陸軍参謀は「サイパン防御等しい」という報告行っている。その後陸軍によるテコ入れが行われ、増援部隊続々到着して表面上の戦力はかなり充実し計算上の兵力密度は1平方キロメートル当たり約236名、上陸可能な海岸対す火力密度は1キロ当り6.5門となり、大本営陸軍部参謀本部作戦課長服部卓四郎大佐は「たとえ海軍航空ゼロになっても敵を叩き出せる」と豪語し東條も「敵がサイパンに来たら我が思う壺だ。そこで待望殲滅戦展開しアメリカ戦意破砕できる」と胸張っている。 東條楽観的な見通しは、開戦以降初め開催され昭和天皇前にしての陸軍合同御前兵棋演習において、東條海軍軍令部永野修身軍令部総長に「アメリカ海軍太平洋侵攻撃破する可能性は十分でしょうな」と質問したに対して永野自信満々に「ご安心乞う」と答え逆に永野からの「あれだけ兵力派遣に依って各島水際防御は完全にいきますか」との質問に対して今度東條が「私が太鼓判押しますと胸張りその様子を見ていた昭和天皇心から安堵していたことに基づくものであったこの頃には、海軍東條絶対自信に対してサイパン防衛に関して幻想抱きつつあり、連合艦隊参謀長草鹿東條から直接防備に関して参謀長東條)が太鼓判を押す海軍よけいなことを考えずにしっかりやれ」と聞かされ軍令部作戦課長山本親雄は「マリアナには全然来ないとは思わなかったが、あれほど早く来るとは考えていなかった。マリアナには陸軍兵力入り、相当自信があるのでまず大丈夫と考えていた」という。 東條楽観的な見通し加えて大本営多く参謀が「アメリカ軍はいずれマリアナに来るが、それはパラオ来寇した後で時期としては1944年末」と見ていたことから、部隊輸送陣地構築計画当初よりも後ろ倒しとされており、大本営は、サイパン防衛主力である第43師団各部隊が、順次到着した5月になってからようやく「水際撃滅戦のため、諸隊遅くとも到着1ヶ月以内野戦陣地完成し爾後成るべく速やかに要部永久築城化し概ね3ヶ月以内特火点根幹とする堅固な陣地完成すべし」という命令出している。従って、大本営目論んでいたサイパン要塞化最速でも1944年9月以降ということになり、実際にアメリカ軍侵攻してきた6月には“野戦陣地程度しか完成していなかった。水際陣地ところどころに軽掩蓋重火器陣地があるぐらいで、多く露天散兵壕程度のものであり、また後方との交通壕もなく各陣地孤立化していた。 深刻であったのが建築資材不足で、兵力装備輸送優先されたことから、建築資材輸送後回しとされて、6月時点ではまだ大半日本内地にあった。その一部搭載され第3530船団6月4日6日潜水艦攻撃で6隻中5隻が撃沈されて資材の殆どが海没してしまった。従って、慢性的なコンクリート不足のために陣地多くが木や土で作られることとなった砲兵射撃陣地露天掩体であり、上空からは丸見えとなっており、そんな簡易な掩体ですら、全重砲の1/3しか構築できていなかった。戦車第9連隊戦車格納する陣地構築しようとしたが、サイパン地質石灰岩固いため、ダイナマイト建築機器持たない戦車兵たちはつるはしシャベル固い地面格闘し、2か月かかって戦車がどうにか格納できるぐらいの穴を掘るのが精いっぱいであった弾薬は1会戦分備蓄できていたが、そのうち弾薬庫などに格納できていたのは1/3程普度で、残り2/3アメリカ軍上陸時に埠頭地区露天山積みされたままと全く防衛準備進んでいなかった。軍司令官小畑このような状況見て恒久建築用適した資材入手できるまでは、防御陣地目に見えるほど強化することは不可能だ兵士がいかにたくさんいようとも、彼らは陣地構築に関しては何もすることができず、腕を組んで座っているだけだ。とても我慢できない状況置かれている」と海軍南雲に不安を打ち明けている。最高司令官である南雲も、サイパンに発つ前、家族に「今度生きて帰れないぞ」語っていたなど戦死覚悟していたという。 また、サイパン防衛主力であった43師団は、日本内地ではもっぱら名古屋防空工業地域防衛訓練注力してきた部隊で、地上戦闘の訓練未熟いわゆる弱兵師団であったサイパンへの進出命令出て出発するまでの1か月間に泥縄式島嶼防衛訓練繰り返し形ばかりの“精鋭師団となってサイパン送られたが、師団主力サイパン到着したのはアメリカ軍上陸のわずか1か月前の5月20日であり、補給滞ってただでさえ少なセメント鋼材などの資材にも乏しく多く将兵たちはやることもなく、ずっと「腕組みをして突っ立ている」という有様であった結果的に日本軍防衛準備少なくとも100日は遅延しており、師団長斎藤は「海軍護衛力も貧弱で、サイパン持久戦覚束ない」と嘆じ、遅かれ早かれ玉砕運命に終わることを予感していたが、前線悲観的な見通しとは裏腹に軍中央の強気な姿勢変わらず大本営報道部長東條楽観的な見通し準じて「敵のサイパン来寇無謀大冒険」であるとか「自ら墓穴を掘る以外の何物でもない」という報道行い国民安堵促している。 斎藤サイパン北から北地区海軍地区中地区南地区の4地区分割し各地区にそれぞれとなる部隊配置したそのうちガラパンを含む40kmの海岸線中央で、最もアメリカ軍の上陸可能性が高い中地区海軍地区は、歩兵136連隊連隊長小川松大佐)の担当地区とし、ガラパン周辺海軍地区には、第1大隊福島勝大尉)を置き、第5根拠地隊唐島部隊や第55警備隊司令高島三治大佐)などの海軍部隊は、反撃戦力として海岸線から離れた位置配置転換し、海軍地区という地区名中地区地区変更した。オレアイ周辺中地区には第2大隊安藤博大尉)が配置され中地区地区地区名変更された。残る第3大隊野々村雄大尉)は師団予備として拘置されタポチョ山南東配置され反撃戦力として使用される計画であったサイパン北部歩兵135連隊が、輸送船撃沈されて大損害を被っていた歩兵第18連隊に代わって守備担当することになった歩兵第18連隊順次グアム移動していったが、第1大隊久保正男大尉)と迫撃砲中隊衛生隊グアム移動前にアメリカ軍侵攻してきたため、そのままサイパン残されることとなっている。重要拠点アスリート飛行場もある南地区には、第43師団以外の派遣隊や、輸送船撃沈されてサイパン残置された部隊などを再編制して組織され独立混成47旅団旅団長岡芳郎大佐)の、独立歩兵315大隊河村勇二郎大尉)、独立歩兵316大隊江藤大尉)・独立歩兵318大隊宮下亀冶大尉)と、第3530船団大損害を被っていた歩兵第118連隊第1大隊配置された。

※この「サイパンの防備準備の遅延」の解説は、「サイパンの戦い」の解説の一部です。
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