サイパン島と沖縄での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 01:00 UTC 版)
「ヴェスタル (給炭艦)」の記事における「サイパン島と沖縄での活動」の解説
1945年2月25日、ヴェスタルはマリアナ諸島への航海中であり、2日後にサイパン島へ到着したヴェスタルは以降2ヶ月以上にわたって修理任務を行った。そこでは主に硫黄島の戦いに用いる揚陸艦艇の修理に従事した。サイパン島滞在中の1945年4月1日に沖縄戦が始まり、1ヶ月も経たないうちにヴェスタルは慶良間諸島へ移動して5月1日に到着した。 5月の間、ヴェスタルは神風特別攻撃隊による攻撃で損傷した艦艇へ59回の修理を実施した。一連の戦闘経験から、特攻機に対する最大の防御は全艦が煙幕を展開して低く垂れこめた巨大な雲を作りだし、その姿を隠すことであると証明された。この目的のために、ヴェスタルは煙幕発生器と燃料入りのドラム缶を積んだ2隻のボートを用意した。さらに、艦首から海中に投じると15分間にわたって吐き気を催す悪臭の濃厚な白煙を放つ煙幕ポッドも用意された。特攻機に対する備えだけでなく、密かに艦艇へ泳ぎ寄って爆薬や機雷を仕掛けようとする敵兵がいないか甲板上の見張りが目を光らせていた。 慶良間諸島の活動で、ヴェスタルの大きな作業は損傷した駆逐艦の修理であった。それらには特攻機によって被害を受けた駆逐艦ニューコム(USS Newcomb, DD-586)とエヴァンズ(英語版)(USS Evans, DD-552)の修理が含まれる。 ヴェスタルは6月半ばまで慶良間諸島に留まっていたが、6月23日、後にアメリカ側によって「バックナー湾」と改名されることになる中城湾へ移動し同日午後に到着する。そしてヴェスタルは戦争の残りの期間をそこで過ごすことになった。1945年8月10日20時55分、日本が降伏を受け入れようとしているという衝撃的な知らせが飛び込んできた。 「打ち上げられる花火の展示がとても素晴らしく、勝利の感触は非常に大きかったため、いったん緊張が壊れてしまうと1945年8月15日8時5分に受け取った真の平和の知らせは、熱狂のさざめきを生むことはほとんどなかった。それでも、勝利の精神は全乗員の心と対話の中で最上のものであった」
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