連合艦隊参謀長とは? わかりやすく解説

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連合艦隊参謀長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:09 UTC 版)

福留繁」の記事における「連合艦隊参謀長」の解説

1943年昭和18年5月23日、連合艦隊参謀長。海軍甲事件に伴い連合艦隊司令長官となった古賀峯一海軍大将要請され人事だった。古賀長官開戦以来横須賀にいて実戦をほとんど知らなかったこともあり、海大恩賜エリート戦略戦術神様評価高かった福留頼り切っていたが、刻々と変化し劣勢戦局対応できる能力福留には欠けており、いつまでも古い戦艦至上主義考えから抜けきれなかった。 1943年11月以降実施されギルバート諸島沖航空戦ブーゲンビル島沖航空戦において連合艦隊大戦果を報告したが、これらは戦果誤認であった当時軍令部第一部長中澤佑少将によれば連合艦隊司令部報告から不確実削除し、同司令部戦果確認に一層配慮するように注意喚起していたが、同司令部より「大本営は、いかなる根拠をもって連合艦隊報告した戦果削除したのか」と強い抗議電が福留参謀長名で打電(この件で福留自身いかなる思惑があったのか未だに公表されていない)され、けっきょく反論なくうやむやになり、1944年10月福留第二航空艦隊長官として実施した台湾沖航空戦でも誤認戦果そのまま報じることになったという。 詳細は「海軍乙事件」を参照 1944年昭和19年3月31日海軍乙事件発生連合艦隊内南洋拠点としてパラオ利用していたが、3月連合軍大空襲を受け、福留司令部要員3月31日ミンダナオ島ダバオ飛行艇二式大艇)で移動図ったが、途中で低気圧遭遇し連合艦隊司令長官古賀峯一乗機行方不明となり、福留乗った二番機はセブ島沖に不時着し搭乗していた9名は泳いで上陸したが、ゲリラ捕虜となり、3月8日作成されたばかり新Z号作戦計画書、司令部信号書、暗号書といった数々最重要軍事機密奪われた。ゲリラに対して警戒心を抱かなかった福留らは拘束時に抵抗自決機密書類破棄もしなかった(かばんを川に投げ込んだが、すぐに回収されたと自供しているが、その件に関する米軍側の報告書未だ公表されておらず、全て承知ゲリラ側に譲渡したではないかと疑う向きもある)。 日本ゲリラ交渉して福留解放させ、帰還した福留海軍次官沢本頼雄中将らから事情聴取を受けることになるが、本人徹底して機密書類紛失容疑否定した当時日本では敵の捕虜となることをこの上ない恥としており、福留ゲリラ捕縛されたことを敵の捕虜になったとみなすかどうか問題となったが、戦時捕虜にならなかったという見地不問になった戦後福留は、GHQ戦史編纂仕事をしていた大井篤ところに出向き、「君や千早機密書類盗まれと言っており、迷惑している。こんな事実全くないんだ」と述べたが、大井は「盗まれたのは事実です。お帰り下さい」と追い返したと言う

※この「連合艦隊参謀長」の解説は、「福留繁」の解説の一部です。
「連合艦隊参謀長」を含む「福留繁」の記事については、「福留繁」の概要を参照ください。

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