連合艦隊旗艦大淀とは? わかりやすく解説

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連合艦隊旗艦大淀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:22 UTC 版)

大淀 (軽巡洋艦)」の記事における「連合艦隊旗艦大淀」の解説

1944年昭和19年3月6日大淀連合艦隊旗艦とする改装はじまった太平洋戦争では、日清・日露戦争のような艦隊決戦英語版)は生起せず、連合艦隊司令部第一戦隊を直率して主力艦隊の先頭に立つような事態は起こらなかった。後方全体指揮執るため、連合艦隊旗艦任務のために主力艦大和型長門型)が遊兵化していた。そこで「独立旗艦ならば戦艦でなくても巡洋艦でよいのではないか?」という機運生じる。海軍潜水戦隊旗艦用として設計され大淀通信能力着目し大型射出機撤去して従来型射出機水上偵察機搭載格納庫改装して司令部施設変更連合艦隊旗艦となる予定であった大淀工事5月1日完了豊田連合艦隊司令長官草鹿龍之介連合艦隊参謀長迎えて5月3日将旗掲げた旗艦任務5月4日から9月29日である。豊田長官大淀防御力低さ懸念して万一戦死したら「まるで日本海軍足元見られるようで、嫌だな」と渋ったという。「戦死するなら、武蔵大和デッキ死にたい。こんな船の上ではいやだ」だったとも伝えられる高田利種参謀副長は、大淀対空防御力や通信力を説明して豊田なだめている。なお大淀陸上間に海底ケーブル敷設して大本営との直接連絡おこない電波ケーブル使って送信所から発信受信のみ大淀で行うという方式である。 5月6日篠田勝清大佐大淀艦長)は戦艦山城艦長補職される。第8駆逐隊司令第10駆逐隊司令歴任した阿部俊雄大佐が、後任大淀艦長となった改装後初任務はマリアナ沖海戦での柱島あ号作戦発令木更津沖、5月23日より柱島)からの直接指揮だった。予想作戦海域電波状況悪かったため小笠原諸島進出することも検討されたが、完全な電話施設持った浮標を持つ柱島泊地からの指揮が望ましいとされたためである。しかしこのような処置間に合わせのものであり、連合艦隊司令部陸上にあって後方指揮執るのが妥当とされた。9月29日連合艦隊司令部は丘に上がった大淀連合艦隊旗艦役目解かれて、ただの軽巡洋艦という立場戻った規則のうるさい連合艦隊旗艦任務うんざりしていた乗組員逆に安堵し鈴木孝一大淀砲術長も前任戦艦武蔵主砲発令所長勤務より「連合艦隊司令長官護衛任務はずっと難しかった」と回想している。 この頃大淀では人事異動があった。8月15日阿部俊雄大佐大淀艦長)は大和型戦艦3番改造空母信濃艤装員長補職され、牟田口格郎大佐後任大淀艦長となる。横須賀停泊中の山城大淀からは、阿部大佐艤装員長および初代艦長となった信濃艤装工事を見ることが出来たまた、当時横須賀方面配備されていた空母雲龍対空射撃訓練に、大淀艦載機協力したその後レイテ沖海戦礼号作戦北号作戦参加した詳細後述)。

※この「連合艦隊旗艦大淀」の解説は、「大淀 (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「連合艦隊旗艦大淀」を含む「大淀 (軽巡洋艦)」の記事については、「大淀 (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

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