アメリカ軍機動部隊との戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 14:37 UTC 版)
「秋月 (駆逐艦)」の記事における「アメリカ軍機動部隊との戦闘」の解説
1944年(昭和19年)1月上旬、軽巡洋艦「阿賀野」(第十戦隊旗艦)の損傷に伴い同戦隊司令官木村進少将が座乗して「秋月」は再び旗艦となった。1月16日、姉妹艦「涼月」は米潜水艦スタージョン (USS Sturgeon, SS-187)の雷撃で大破、泊大佐(第61駆逐隊司令)は戦死した。このころ、連合艦隊司令部はトラック島が戦場になることを懸念し、在泊連合艦隊艦艇をリンガ泊地(東南アジア)に移すことを決定する。本艦は敷島部隊(戦艦《長門、扶桑》、重巡《熊野、鈴谷、利根》、第17駆逐隊《浦風、磯風、浜風》)に加わり2月1日(1月30日とも)、トラック泊地を出港した。2月4日、パラオのコロール港に到着する。2月16日、パラオを出港し2月21日にスマトラ島とシンガポールに挟まれたリンガ泊地に到着した。リンガ泊地には既に空母「瑞鶴」、第十戦隊各艦(風雲、初月、若月)が到着しており、第61駆逐隊が再び合同すると同時に第十戦隊旗艦は軽巡洋艦「矢矧」に変更となった。 3月1日、第一機動部隊が新編成される。3月4日には中部太平洋方面艦隊(司令部サイパン島)の編成にともなって前第一艦隊長官南雲忠一中将が親補、「秋月」は戦艦「長門」を退艦してシンガポール飛行場におもむく南雲を送迎した。3月20日、涼月被雷時に戦死した泊大佐の後任として、天野重隆大佐(前職第10駆逐隊《秋雲、風雲、朝雲》司令)が第61駆逐隊司令に任命される。4月5日、新鋭空母「大鳳」が到着。5月1日には戦艦「大和」、重巡洋艦「摩耶」、駆逐艦「島風」が合流。「秋月」は主に訓練に従事した。5月15日、タウイタウイ泊地に進出する。5月16日、第二航空戦隊(隼鷹、飛鷹、龍鳳)・第三航空戦隊(千歳、千代田、瑞鳳)が合流。5月20日、豊田副武連合艦隊長官は連合艦隊旗艦大淀より『あ号作戦用意』を発令し、一〇三四発電で『今次作戦は実に皇国興廃の繁る所にして決戦部隊、就中航空部隊、潜水部隊は身を挺し必勝邁進し、各方面部隊は要地を固めて之が支援鉄壁を形成し、各員其の任務に応じ誓って本作戦の必成に向ひ善戦敢闘を望む』と伝えた。6月2日、護衛任務を中断してタウイタウイ泊地に帰投。 詳細は「マリアナ沖海戦」を参照 6月15日、「秋月」は機動部隊の一艦としてギマラスを出撃、サンベルナルジノ海峡を通過して太平洋に進出した。16日、渾作戦のためハルマヘラ島に派遣されていた第一戦隊司令官宇垣纏中将指揮下の別働隊(大和、武蔵、妙高、羽黒、能代、島風、沖波)が合流する。この頃、アメリカ軍機動部隊の攻撃により太平洋の島々に配備された日本軍基地航空隊が壊滅している。6月19日、マリアナ沖海戦において第61駆逐隊は小沢機動部隊(第三艦隊)の直衛護衛艦として参加する。午前8時、「秋月」の艦橋から左舷前方1500mの位置にいた空母大鳳に米潜水艦アルバコアから発射された魚雷1本が命中するのが目撃された。この時点で「大鳳」は『本艦被雷するも被害軽微、戦闘航海に支障なし、安心せよ』と信号し、外観に異常は見られなかったという。午前11時20分、空母翔鶴に米潜水艦カヴァラから発射された魚雷4本が命中、同艦は午後2時頃に沈没した。秋月・矢矧・浦風は協力して脱出者の救助をおこない、本艦は「翔鶴」乗組員約100名を救助した。午後2時32分、「大鳳」は漏洩したガソリンに引火して大爆発を起こし、午後4時28分に沈没した。乗組員は磯風・初月等に救助された(緒方艦長は本艦も大鳳生存者救助に従事と回想)。小沢司令部は炎上する「大鳳」から駆逐艦「若月」へ脱出、さらに重巡「羽黒」へ移乗したのち、最終的に「瑞鶴」へ移動した。 6月20日、215機のアメリカ軍艦載機が小沢機動部隊を襲撃し、まず補給部隊のタンカー2隻(玄洋丸、清洋丸)が被弾炎上(駆逐艦卯月、雪風により、それぞれ処分)。続いて旗艦「瑞鶴」も襲撃を受けた。「瑞鶴」を中心に、第五戦隊(妙高、羽黒)、第十戦隊(軽巡《矢矧》、第17駆逐隊《浦風、磯風》、第61駆逐隊《初月、若月、秋月》、秋月型《霜月》、第10駆逐隊《朝雲》)という輪形陣を組んで米軍機を迎撃した。「瑞鶴」には爆弾1発が艦橋後方に命中、至近弾6発という被害を受けたが、沈没することはなかった。最後に空母「飛鷹」が撃沈されたが、秋月が掩護するには距離が遠すぎた。こうしてマリアナ沖海戦は空母3隻、タンカー2隻が沈没、残る空母も損傷し、飛行機350以上を失って完敗した。6月22日、本艦は瑞鶴等を護衛して中城湾に入港、23日出港し、翌日に柱島に帰投した。 6月29日に呉に入港し、7月20日まで整備・補給と武装追加工事が行われた。25mm単装機銃7基と単装機銃取付座7基、13号電探が装備され、25mm機銃は戦闘時には29門(推定)となった。7月30日、空母瑞鳳、第61駆逐隊(初月、秋月)、第4駆逐隊(野分、山雲)は小笠原諸島・硫黄島方面への輸送作戦護衛任務に従事した(スカベンジャー作戦)。8月3日に内地へ戻ると、「秋月」は長崎に移動して入渠整備を行う。この間、8月6日に雲龍型1番艦「雲龍」、8月10日に雲龍型2番艦「天城」が竣工して第一航空戦隊を再編成するが、秋月以下第十戦隊が雲龍型航空母艦を戦場で護衛する機会はなかった。出渠後、一旦佐世保へ回航したのち内海西部に移動して待機した。 9月30日から10月4日の間に呉に入港して修理・整備を実施。水中聴音機の水漏れが発見され10月6日から10月11日まで日立因島造船所に入渠して修理を行った。
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