第十戦隊旗艦とは? わかりやすく解説

第十戦隊旗艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 08:50 UTC 版)

阿賀野 (軽巡洋艦)」の記事における「第十戦隊旗艦」の解説

1942年昭和17年2月15日前年11月下旬まで古鷹型重巡洋艦1番艦古鷹艦長だった中川浩大佐は、阿賀野艤装員長任命される2月25日佐世保海軍工廠阿賀野艤装事務所設置する本艦竣工する頃、すでに太平洋戦争ターニングポイント呼ばれるミッドウェー海戦過ぎてガダルカナル島の戦い突入しており、戦局悪化しつつあった。10月31日阿賀野竣工し海軍引き渡された。同時に警備艦定められる中川艤装員長阿賀野初代艦長となった同日附で阿賀野艤装事務所撤去11月19日阿賀野及び第17駆逐隊2小隊浜風磯風)はトラック進出下令される。11月20日、「阿賀野」は第三艦隊第十戦隊編入12月1日、「阿賀野」はトラック泊地進出した同時に駆逐艦照月」より第十戦隊旗艦を継承。だが軽巡洋艦水雷戦隊駆使して戦闘はほとんど無かった本艦型の設計技術会議関与した宇垣纏連合艦隊参謀長も、『果たし現下要求堪えられるのか』と懸念示している。 その頃日本軍ニューギニア方面作戦進展させるため、ニューギニア島北岸マダンウェワク占領して飛行場設置しラエモロベ州州都)、サラモア対す後方基地として強化することにした(「ム」号作戦)。だがポートモレスビー連合軍基地から激し空襲を受ける可能性があり、外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官ウエワク攻略部隊の上警戒のため、第二航空戦隊司令官角田覚治少将空母隼鷹》)と護衛部隊(軽巡阿賀野》、駆逐艦3隻《磯風浜風村雨》)を派遣した12月13日附で第二航空戦隊第十戦隊各部隊南東方面部隊編入ウェワク攻略部隊駆逐艦巻雲夕雲風雲》、輸送船清澄丸》)は12月16日12時ラバウル出撃マダン攻略部隊軽巡天龍》、駆逐艦荒潮涼風磯波、電》、輸送船愛国丸護国丸》)は同日18時にラバウル出撃した。母艦航空部隊隼鷹阿賀野磯風浜風村雨)もトラック泊地出撃、同部隊援護受けたウェワク攻略部隊は、特に大きな戦闘もなく18日夜にウェワク揚陸成功した一方マダン攻略部隊12月18日空襲護国丸が中破潜水艦アルバコア雷撃天龍喪失した12月20日第二航空戦隊および第十戦隊各艦は前進部隊指揮官近藤信竹中将)への復帰下令された。 1943年昭和18年1月上旬、第十戦隊旗艦は駆逐艦秋月変更された。1月19日秋月は米潜水艦ソードフィッシュから雷撃され輸送船妙法丸の救援のために出動したが、アメリカ潜水艦ノーチラス(USS Nautilus, SF-9/SS-168)から雷撃され大破し木村司令官負傷した木村少将後任として、小柳冨次少将当時第二水雷戦隊司令官)が第十戦隊司令官任命される同年1月下旬2月上旬ガダルカナル島からの撤退作戦ケ号作戦)が実施された。これを支援すべく、前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕)以下重巡洋艦4隻(愛宕高雄羽黒妙高)、戦艦2隻(金剛榛名)、軽巡3隻(長良神通阿賀野)、空母2隻(隼鷹瑞鳳)、駆逐艦朝雲五月雨時雨陽炎涼風大波初雪敷波、嵐)、油槽船2隻(日本丸、建洋丸)という戦力集結前進部隊各部隊本隊警戒隊、航空部隊補給部隊)は1月31日トラック泊地出撃2月3日第一次撤収作戦損傷艦補充のため駆逐艦2隻(朝雲五月雨)は前進部隊からケ号作戦実施部隊まわされショートランド泊地へ向かう。その後前進部隊東方牽制隊はアメリカ軍機動部隊出現備えて待機した交戦機会はなく、ケ号作戦成功と共に順次トラック帰投その後同地待機した5月上旬第十戦隊阿賀野、第16駆逐隊雪風》、第10駆逐隊夕雲秋雲》)は第一航空戦隊瑞鶴瑞鳳)を護衛して内地帰投する。5月8日日本本土へ帰投した。 阿賀野6月3日から7月2日まで呉海軍工廠入渠含めた整備行い、この時に21号電探装備した。また13mm連装機銃2基を25mm連装機銃2基に交換飛行甲板後端左右に25mm3連装機銃を1基ずつ増備し、25mm機銃連装2基、3連装4基の計16となった本艦修理中の6月21日附で、第十戦隊司令官小柳冨次少将から大杉守一少将交代した第八戦隊(「利根」、「筑摩)、第十戦隊(「阿賀野」、駆逐艦5隻)、「最上」、軽巡洋艦大淀」、水上機母艦日進からなる第一部隊陸軍南海第四守備隊第一次進出部隊輸送従事し空母翔鶴」、「瑞鶴」などとともに7月10日内海西部発ち7月15日トラック到着したマーシャル方面進出予定であった南海第四守備隊は、連合国軍レンドバ島などへの上陸によりソロモン方面転用されることとなり、第一部隊7月19日トラック発し7月21日ラバウル到着ラバウルから先は「日進」と駆逐艦5隻によりブインブカ島への輸送が行われ、第十戦隊指揮官旗艦駆逐艦萩風」に移してこれを指揮したこの際、「日進」が撃沈されている。第四駆逐隊駆逐艦2隻)以外の第一部隊7月24日ラバウル発し7月26日トラック戻った8月6日阿賀野艦長中川浩大佐から松原博大佐に交代した

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