北方作戦への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 06:12 UTC 版)
5月上旬、第一航空戦隊(瑞鶴、瑞鳳)および第十戦隊(旗艦《阿賀野》、第16駆逐隊《雪風》、第10駆逐隊《夕雲、秋雲》)がトラック泊地より内地に帰投した。い号作戦で消耗した母艦航空部隊を補充・再建する為である。5月8日、瑞鶴隊は呉到着。駆逐艦2隻(嵐、漣)は佐世保へ向かう空母瑞鳳の護衛をおこなった。 5月12日、アメリカ軍はアッツ島に来攻(アッツ島の戦い)、それにともない連合艦隊水上部隊主力は東京湾に集結し、北方作戦に備えた。5月21日、機動部隊(空母3隻《翔鶴、瑞鶴、瑞鳳》、巡洋艦5隻《熊野、鈴谷、最上、大淀、阿賀野》、駆逐艦3隻《浜風、嵐、雪風》)は横須賀に到着した。 5月22日、連合艦隊司令長官古賀峯一大将直率の戦艦3隻(武蔵、金剛、榛名)、空母飛鷹、第八戦隊(利根、筑摩)、駆逐艦5隻(第27駆逐隊《時雨、有明》、第24駆逐隊《海風》、第61駆逐隊《初月、涼月》)がトラック泊地より横須賀に到着する。大和型戦艦2番艦武蔵には4月18日海軍甲事件で戦死した前連合艦隊長官山本五十六大将の遺骨が乗せられていた。5月22日、横須賀帰着(武蔵のみ木更津冲入泊)。山本元帥の戦死は21日に公表され、通夜および告別式は23日武蔵艦上で行われたのち、遺骨は第10駆逐隊(秋雲、夕雲)により武蔵から横須賀へ運ばれた。第三艦隊司令長官小沢治三郎中将は嵐に将旗を移し、木更津沖まで出向いたという。 5月29日、アッツ島守備隊(指揮官山崎保代陸軍大佐)は玉砕。有力な米水上部隊の不在、燃料不足、守備隊玉砕という観点より、機動部隊の北方作戦参加は中止。各艦・各部隊は横須賀を経由して内海西部へ回航された。第十戦隊(阿賀野、風雲、雪風、浜風、谷風、嵐)は戦艦・重巡部隊を護衛して呉へ移動している。
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