昭和17年の戦いとは? わかりやすく解説

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昭和17年の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 06:46 UTC 版)

風雲 (駆逐艦)」の記事における「昭和17年の戦い」の解説

風雲竣工直前3月14日日本海軍夕雲型1番艦夕雲夕雲型2番巻雲3月14日竣工)により第10駆逐隊駆逐隊司令阿部俊雄大佐前職第8駆逐隊司令)を編制した風雲3月28日竣工同時に横須賀鎮守府海面防備部隊直率部隊編入され同日附で第10駆逐隊編入された。阿部司令が着任するまで、吉田中佐(風雲艦長)が職務代行する4月13日着任した阿部司令は第10駆逐隊司令駆逐艦風雲指定した4月15日陽炎型駆逐艦19番艦の秋雲第10駆逐隊編入され定数4隻(秋雲夕雲巻雲風雲となった秋雲編入直前4月10日戦隊改編により南雲機動部隊指揮官南雲忠一中将海軍兵学校36期第一航空艦隊司令長官)の直衛に任ずる部隊として第十戦隊司令官木村進少将海軍兵学校40期)が編制され第10駆逐隊第十戦隊所属したこれまでの第一水雷戦隊司令官大森仙太郎少将海兵41期)に代わって南雲機動部隊の直衛に就く第十戦隊は、旗艦軽巡長良以下、第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐 第1小隊:(1)風雲、(2)夕雲第2小隊(3)巻雲、(4)秋雲〕、第17駆逐隊第1小隊:(1)谷風、(2)浦風第2小隊(3)浜風、(4)磯風〕、第7駆逐隊第1小隊:(1)潮、(2)漣、第2小隊(3)曙〕が所属していた。だが第7駆逐隊機動部隊から外され北方部隊所属しており、実際機動部隊警戒隊(指揮官第十戦隊司令官木村少将)は長良以下第10駆逐隊4隻、第17駆逐隊4隻、第四水雷戦隊/第4駆逐隊司令有賀幸作大佐第1小隊〈嵐、野分〉、第2小隊萩風舞風〉)、燃料補給部隊という編成である。 4月18日ドーリットル空襲時、第10駆逐隊夕雲巻雲風雲)は前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)に編入され重巡洋艦戦隊空母祥鳳とともに米軍機部隊追撃のため横須賀出動した。だが接敵できず、前進部隊各部隊・各艦は4月22日から23日にかけて横須賀帰投した。 第十戦隊6月5日ミッドウェー海戦初陣となったが、まず主力空母3隻(赤城加賀蒼龍)がアメリカ軍機動部隊艦載機SBD急降下爆撃機ドーントレス空襲を受け、被弾炎上した戦闘詳報では、赤城座乗南雲長官草鹿龍之介参謀長源田実参謀淵田美津雄赤城飛行長等司令部人員救助するため「7時45分野分赤城接近した」と記録している。『戦史叢書、第43ミッドウェー海戦によれば南雲司令部野分移乗したのち長良第十戦隊旗艦)に移動して0830に将旗掲げたとする。だが司令部信号兵やカメラマン証言によると、南雲司令部駆逐艦経由せず、装載艇直接長良移動している。旗艦変更にあたり草鹿は「最初附近駆逐艦にもと思ったのであるが、折よく安否を気づかって接近してきた第十戦隊旗艦長良」に移乗することにした。」と回想している。機動部隊側の記録回想対し吉田正義(当時風雲駆逐艦長)は「南雲長官下司令部は赤城内火艇風雲第10駆逐隊司令駆逐艦)に移乗風雲将旗掲げたのち第十戦隊旗艦長良移動した」と回想している。 空母3隻被弾炎上後、第10駆逐隊第二航空戦隊司令官山口多聞少将)の空母飛龍支援従事した最終的に飛龍被弾炎上し風雲谷風飛龍左舷横付けして消火活動協力した長益当時飛龍航海長)は、消火作業おこなった駆逐艦艦名について、「風雲巻雲」と回想している。飛龍周囲には駆逐艦4隻(艦名不詳)がいて、消火協力したという。また飛龍御真影負傷者一部は、風雲収容された。鎮火見込み立ったため加来止男飛龍艦長風雲離れるよう下令したが、その2時間後に誘爆起ったという。小林勇一当時飛龍戦闘機整備分隊長)は「やれもしない水雷戦隊夜襲などと言わずあの時そのまま駆逐艦消火続けさせ、母艦徹底的に冷やしたら、『飛竜』を沈めずに持って帰れたのに」と回想している。草鹿参謀長は「冷静に考えれば、「飛龍」の被爆同時に、艦を救い人を救って速やかに引きあげるべきであったそのときも、そう思わぬでもなかったが、戦が不利だからといって速やかに引きあげるということは、なんとなく軍人としてできにくいことであった。」と回想している。 山口司令官加来艦長総員退去下令風雲巻雲飛龍生存者収容した飛龍接舷時、過失により風雲飛龍接触事故がおこり、風雲マスト測距義に損傷受けている。山口司令官加来艦長飛龍から脱出せず、戦死した風雲カッターボート飛龍右舷にいたところ上から拳銃落ちてきたため、飛龍副長鹿江大佐海兵48期)は「加来艦長はこの拳銃自決したのでは」と語ったという。なお、飛龍駆逐艦巻雲によって雷撃処分されたが、すぐには沈没しなかった。アメリカ軍鹵獲されるのを防ぐため、駆逐艦谷風(第17駆逐隊)が飛龍処分下令され捜索向かったが、発見できずに引き返した沈没寸前飛龍から脱出した機関科生存者39名(4名漂流死亡)は、のちにアメリカ軍によって救助された。吉田風雲駆逐艦長)は「飛龍確実に処分して生存者救助すればよかった」と回想している。第十駆逐隊6月13日に呉へ帰投した。 7月14日第一航空艦隊解隊されて第三艦隊編制され引き続き南雲忠一中将第三艦隊司令長官草鹿龍之介少将が同艦隊参謀長務めた。この再編にともない第十戦隊から第7駆逐隊外れ、第4駆逐隊および第16駆逐隊編入される第十戦隊軽巡長良以下駆逐艦16隻(第4駆逐隊〈嵐、野分萩風舞風〉、第10駆逐隊秋雲夕雲巻雲風雲〉、第16駆逐隊雪風時津風天津風初風〉、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風〉)という戦力揃えた

※この「昭和17年の戦い」の解説は、「風雲 (駆逐艦)」の解説の一部です。
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