昭和17年4月以降の行動
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「香椎 (練習巡洋艦)」の記事における「昭和17年4月以降の行動」の解説
4月12日、第一南遣艦隊旗艦は鳥海から香椎に変更された。馬来部隊に派遣されていた各艦艇(鳥海、由良、第三水雷戦隊、第七戦隊、龍驤)は原隊に復帰し、ミッドウェー作戦に参加するため、それぞれ内地へ帰投した。 その後、香椎は第一南遣艦隊旗艦として海防艦占守、第5駆逐隊(松風、春風、朝風)、掃海艇や根拠地隊と共に南西方面の警戒・哨戒に従事する。6月25日、香椎艦長は重永主計大佐に交代した。7月14日、第一南遣艦隊司令長官は小沢中将から大川内伝七中将(海兵37期)に交代した。 7月下旬、日本海軍はインド洋・ベンガル湾方面通商破壊作戦「B作戦」を実施する。第十六戦隊(司令官原顕三郎少将:名取、鬼怒、五十鈴〔8月1日より〕)、第七戦隊(司令官西村祥治少将:熊野、鈴谷)、第2駆逐隊(村雨、五月雨、夕立、春雨)、第15駆逐隊(親潮、早潮、黒潮)、第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:川内、第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪、叢雲〉、第19駆逐隊〈浦波、敷波、綾波〉、第20駆逐隊〈朝霧、天霧、夕霧〉)等が第一南遣艦隊(旗艦香椎)の指揮下に入った。香椎を含めた各艦はマレー半島西岸メルギー(en:Myeik, Burma)に集結する。だがB作戦を発動しないうちにアメリカ軍はガダルカナル島とフロリダ諸島へ上陸作戦を敢行する(ウォッチタワー作戦)。ガダルカナル島の戦いが始まったことにより8月8日付でB作戦は中止され、部隊は解散した。第七戦隊や第三水雷戦隊はトラック泊地やガダルカナル島方面へ急行する。香椎はシンガポールに戻ると、僚艦と共に、南西方面の警戒・哨戒任務に従事した。 9月下旬、日本軍は瀬戸内海及び南西方面からラバウル方面へ、日本陸軍部隊を緊急輸送することになった。この輸送作戦を「沖輸送」と称する。各部隊はそれぞれ護衛部隊や艦艇を派遣し、香椎も沖輸送に参加した。香港~パラオ間は第二遣支艦隊司令長官が、パラオ~ラバウル間は外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官)が指揮をおこなった。 9月26日、第一護送隊(巡洋艦〈香椎、球磨〉、水雷艇〈鵲〉)は輸送船2隻を護衛して香港を出発する。10月4日、パラオに到着した。香椎と輸送船1隻は分離してラバウルへ先行、10月8日ラバウルに到着した。フィリピン南部ダバオを経由して、10月19日にシンガポールへ戻った。以後、シンガポールを中心に行動する。 詳細は「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」を参照 1943年(昭和18年)1月7日、香椎艦長は重永大佐から高田俐大佐に交代した。4月1日、日本海軍は昭和十八年度帝国海軍戦時編制を実施、4月15日に南西方面艦隊司令部と第二南遣艦隊司令部が分離するなどの変化があった。第一南遣艦隊は軍隊区分に於いて西方部隊となり、香椎と占守などの小艦艇、南西方面の各根拠地隊で構成されていた。 5月、二式飛行艇を装備した第八五一海軍航空隊がスマトラ島方面に進出することになり、第一南遣艦隊は同方面の調査を実施した。なおアンダマン諸島・ニコバル諸島の防衛を担っていたのは日本海軍だった。連合軍の反攻の気配があったため、陸海軍は協力してニコバル諸島の防衛強化を進める。香椎以下の馬来部隊も、同方面の調査や航空基地建設、陸上兵力の輸送に協力した。 7月下旬、香椎と掃海艇7号は、シンガポールからアンダマン・ニコバル諸島ポートブレアへ向かう呉第八特別陸戦隊を乗せた特設運送艦屏東丸を護衛する。8月中旬、第十六戦隊(球磨)の協力を得て、第一南遣艦隊(香椎、占守、屏東丸)等はスマトラ島北東部ベラワン港(メダン)からポートブレアへの輸送作戦に従事する。8月22日、ポートブレア着と共に香椎はシンガポールへ戻るが、屏東丸は翌日ポートブレアで空襲を受け撃沈された。 8月下旬、香椎および第一南遣艦隊はシンガポールからサバン(インドネシアアチェ州)へ第三三一航空隊(空母隼鷹、駆逐艦谷風輸送物件)の整備員を輸送する。8月29日、香椎はサバン入港直前にイギリス潜水艦トライデントの雷撃を受けたが、命中しなかった。 9月になると、南西方面(ニコバル諸島、アンダマン諸島、ビルマ方面)で連合軍の反撃の兆候が見られるようになり、日本軍は各地の防衛を強化していった。香椎はシンガポールからスマトラ島やニコバル諸島への輸送作戦を実施する。10月上旬、イギリス東洋艦隊がセイロン島コロンボを出撃したとの情報が入り、南西方面艦隊は11日にC作戦用意(ジャワ、西部スマトラ方面)・D作戦用意(ベンガル湾方面)を発令したが、15日に警戒態勢を解除した。12月下旬、香椎が待機するシンガポールに、第一南遣艦隊の指揮下に入った敷設艦津軽(12月22日着)と重巡青葉(12月24日着)が到着した。12月26日、香椎はシンガポールを出発、台湾高雄市を経由し九州佐世保へ向かった。航海中の12月31日、香椎は第一南遣艦隊から除かれた。
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