昭和17年の行動とは? わかりやすく解説

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昭和17年の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 16:52 UTC 版)

巻波 (駆逐艦)」の記事における「昭和17年の行動」の解説

1942年昭和17年8月31日日本海軍は「長波」(同年6月30日竣工藤永田造船所)と「巻波」により第31駆逐隊編制した初代駆逐隊司令清水利夫大佐当時、第21駆逐隊司令海軍兵学校46期) を任命する司令駆逐艦は「巻波となった第31駆逐隊第二水雷戦隊編入された。さらに金剛型戦艦金剛榛名)と第31駆逐隊巻波長波)で前進部隊待機部隊編成内海西部訓練実施した9月6日第三戦隊司令官栗田健男中将海軍兵学校38期) 指揮のもと戦艦金剛」(第三戦隊旗艦) と「榛名」、第31駆逐隊豊後水道出撃した。9月10日トラック諸島到着した戦艦大和所在連合艦隊司令部打ち合わせ行い並行して補給を受ける。前進部隊本隊編入後、9月11日トラック泊地出撃する第二艦隊基軸とする前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)に合流した9月中旬日本陸軍ガ島総攻撃失敗血染めの丘の戦い)、日本海軍艦隊トラック泊地もどった第31駆逐隊トラック泊地での警戒任務につく。9月29日第五戦隊重巡洋艦羽黒」が修理のため佐世保に戻ることになり、「巻波」は同艦をトラック泊地近海まで護衛した10月1日第31駆逐隊夕雲型駆逐艦6番艦「高波」(同年8月31日竣工浦賀船渠)が編入され、同隊は3隻編制長波巻波高波)となる。清水司令は司令駆逐艦を「高波」に指定した10月11日前進部隊第二艦隊)はトラック出撃する第二水雷戦隊司令官田中頼三少将海軍兵学校41期) が指揮する第二水雷戦隊軽巡五十鈴二水戦旗艦〉、第15駆逐隊親潮黒潮早潮〉、第24駆逐隊海風江風涼風〉、第31駆逐隊高波巻波長波〉)は、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場対し艦砲射撃実施予定第三戦隊(金剛榛名)を護衛する挺身攻撃隊(指揮官栗田健男第三戦隊司令官)としてトラック泊地出撃した。応援の第19駆逐隊哨戒任務と共に10月14日ヘンダーソン飛行場砲撃ヘンダーソン基地艦砲射撃) を援護した後、前進部隊第二艦隊)に合流する。この艦砲射撃で、二水戦は米軍魚雷艇部隊撃退したヘンダーソン飛行場損害受けたが、15日には一部復旧して飛行機発進した米軍機ガ島揚陸中の日本軍輸送船団空襲加え輸送船3隻が炎上した輸送船団苦戦知った連合艦隊は、前進部隊重巡妙高」 と重巡摩耶」 に飛行場砲撃命じ、これを二水戦(五十鈴高波巻波長波)が護衛する10月15日夜、5隻は艦砲射撃敢行した。発射弾数妙高476発、摩耶450発、第31駆逐隊253発と記録されている。 戦場離脱後、10月17日夜に前進部隊および南雲機動部隊合流し補給行いつつ敵を求めて進撃続けた10月26日南太平洋海戦における第二水雷戦隊は、前進部隊支援部隊)に所属してアメリカ軍機動部隊交戦した10月30日二水戦はトラック帰投した。 11月3日巻波含め支援部隊一部外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入されトラック出撃してショートランドに向かう。11月5日ショートランド泊地において外南洋部隊増援部隊指揮官職務は、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将から第二水雷戦隊司令官田中頼三少将引き継がれた。ガダルカナル島への鼠輸送従事していた第三水雷戦隊は、トラック泊地へ戻る。これ以降ガ島への駆逐艦輸送作戦田中頼三少将指揮することになった11月6日深夜、第15駆逐隊司令佐藤寅治大佐指揮下の甲増援隊はショートランド泊地出撃する途中で米軍爆撃機小型機20数機の空襲を受け、「長波」と「高波」が損傷した。甲増援隊は深夜にタサファロング沖に到着して糧食降ろし傷病兵便乗者を乗せて帰投した。 11月10日朝、第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐指揮する増援輸送部隊第十一戦弾着観測員と陸軍兵・物資載せてショートランド泊地出撃した。魚雷艇撃退し輸送任務成功する。第38師団佐野忠義陸軍中将上陸した傷病兵収容してガ島離れ11日午前中帰投した。 詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照 この頃ガダルカナル島の戦い一つ山場迎えつつあり、日本軍第三十八師団兵力輸送船団ガダルカナル島揚陸することにした。11月13日以降巻波以下の増援部隊輸送船11隻を護衛しガダルカナル島向かった第三次ソロモン海戦)。だがアメリカ軍機の波状攻撃を受け輸送船6隻が沈没、「佐渡丸」が大破して駆逐艦天霧」と「望月」に護衛されショートランド泊地退避する。「巻波」も陸軍将兵多数艦内収容記録では1020となっている。 田中司令官残存輸送船4隻と駆逐艦9隻を指揮してガ島への進撃続行した戦艦霧島駆逐艦綾波撃沈したノースカロライナ級戦艦 (North Carolina-class battleship) ワシントン (USS Washington, BB-56) が損傷艦と共に戦場去ったあと、残存輸送船4隻はガ島突入する11月15日未明輸送船4隻(廣川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)はガダルカナル島タサファンログ泊地座礁揚陸強行するが、アメリカ軍機と米艦艇攻撃全滅した輸送船団壊滅は、南東方面戦略大きな影響与えた揚陸できたのは人員だけで、重機材や弾薬はほとんど失われた11月15日22時、増援部隊各艦はショートランド泊地戻ったショートランド帰投後、息つく暇も無く日本軍側は鼠輸送連合軍側は“東京急行”と呼称するドラム缶輸送従事した11月16日連合軍東部ニューギニアブナ上陸情勢緊迫度合い増した外南洋部隊増援部隊大部分ニューギニア方面への増援輸送作戦投入されショートランド泊地残っていたのは駆逐艦5隻(高波巻波長波黒潮満潮)だけだった11月22日途中引返し)と24日午前3時、「巻波」と峯風型駆逐艦羽風」は輸送船3隻(千早丸、神威丸、寶運丸)を護衛しショートランド泊地出撃する同日19ニュージョージア島ムンダ到着した25日午前2時30出発夕刻ショートランド泊地帰投した。米潜水艦襲撃時には、「羽風と共に応戦している。 詳細は「ルンガ沖夜戦」を参照 11月30日外南洋部隊増援部隊指揮官田中頼三少将第二水雷戦隊司令官旗艦長波」)の指揮下、駆逐艦8隻はドラム缶輸送任務のためショートランド泊地出撃ガダルカナル島へむかう。部隊編成は、警戒隊(長波高波)、第一輸送隊黒潮親潮陽炎巻波)、第二輸送隊江風涼風)である。これをカールトン・H・ライト少将率いる第67任務部隊英語版)が迎撃アイアンボトム・サウンドにおいて夜間水上戦となったルンガ沖夜戦)。日本側は駆逐艦1隻(高波)が沈没しアメリカ側重巡ノーザンプトン (USS Northampton, CA-26) を喪失重巡3隻(ミネアポリスペンサコラニューオーリンズ)も大破という損害だった。一方でドラム缶輸送作戦自体失敗し外南洋部隊第二次ドラム缶輸送作戦を行うよう指導する本戦闘で「高波」(第31駆逐隊司令駆逐艦)が沈没する清水大佐(31司令)が戦死第31駆逐隊は「長波」と「巻波」に減少した12月3日田中二水司令官長波指揮下、第二次輸送作戦実施される航行中、「巻波」は米軍機空襲により損傷した戦死者7名。投下ドラム罐1500個のうち、回収されたのは310個だった。作戦終了後、「巻波」は修理のためラバウル回航されている。 12月16日第一次第一回ムンダ輸送のため、駆逐艦6隻(長波巻波親潮黒潮陽炎谷風)はニュージョージア島ムンダ輸送実施した揚陸作業中に夜間空襲を受け「陽炎」が小破した。12月21-22日、第17駆逐隊司令指揮下の駆逐艦4隻(谷風浦風巻波陽炎)はムンダ輸送実施したつづいて駆逐艦4隻(江風涼風巻波陽炎をもって第二号哨戒艇護衛、同艦をガ島擱坐させようという12月27日ラバウル出撃は、ムンダ飛行場進出した日本軍戦闘機隊が大損害をうけて上陸掩護見込みなくなりガ島に向け航行中中止となる。各艦はショートランド経てラバウル戻った12月29日付で第二水雷戦隊司令官田中頼三少将から小柳冨次少将海軍兵学校42期)に交代した小柳着任にともない田中は退隊し、外南洋部隊増援部隊指揮官田中少将から小柳少将交代した

※この「昭和17年の行動」の解説は、「巻波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「昭和17年の行動」を含む「巻波 (駆逐艦)」の記事については、「巻波 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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