増援輸送
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1942年(昭和17年)12月11日のドラム缶輸送の失敗(秋月型駆逐艦照月沈没)から駆逐艦による輸送を中止していた。しかし、撤退までの軍の消耗を防ぎ、体力を回復させるために翌年1月2日よりドラム缶輸送を再開した。また1月14日から3回に渡り増援部隊を揚陸させた。さらに12月9日から中止していた潜水艦による輸送も12月26日より再開し、ほぼ毎晩行われた。同時にコロンバンガラ、ムンダ、レカタ、パラレ、ショートランド、ブカの各地に増援部隊を輸送、ムンダ等の各地の飛行場整備を急いだ。
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増援輸送
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「ガダルカナル島撤収作戦」の記事における「増援輸送」の解説
1942年(昭和17年)12月11日のドラム缶輸送の失敗(秋月型駆逐艦照月沈没)から、日本海軍は駆逐艦による輸送を中止していた。しかし、撤退までの軍の消耗を防ぎ、体力を回復させるために翌年1月2日よりドラム缶輸送を再開した。この時、第二水雷戦隊司令官は田中頼三少将から小柳冨次少将に交代した。また1月14日から3回に渡り増援部隊を揚陸させた。さらに12月9日から中止していた潜水艦による輸送も12月26日より再開し、ほぼ毎晩行われた。同時にコロンバンガラ島、ニュージョージア島ムンダ、サンタイサベル島レカタ湾、パラレ、ブーゲンビル島ショートランド泊地、ブカ島の各地に増援部隊を輸送、ムンダを筆頭に飛行場整備を急いだ。連合軍も巡洋艦戦隊を投入し、コロンバンガラ島などへ艦砲射撃をおこなった。同島ビラ地区の飛行場は岩淵三次大佐(戦艦霧島沈没時の艦長)指揮下で造成をおこない1月22日時点で九割ほど完成していたが、ウォルデン・L・エインズワース提督が率いる巡洋艦と駆逐艦の砲撃と空襲により使用不能になっている。また輸送作戦従事中の艦隊型駆逐艦が多数損傷する。駆逐艦涼風(1月2日、空襲により損傷)、駆逐艦初風(1月10日、魚雷艇により大破)、駆逐艦嵐(1月15日、空襲により損傷)、駆逐艦秋月(1月19日、潜水艦雷撃で大破)、駆逐艦春雨(1月24日、潜水艦ワフーの雷撃で大破)が戦線を離脱した。 1943年(昭和18年)1月7日、連合艦隊は連合艦隊命令作第27号をもって、ガ島撤収作戦の方針を示した。 (1) 主隊(連合艦隊司令長官)はトラックにあって全作戦を指導する。 (2) 前進部隊(第二艦隊司令長官)はトラックに待機し、機に応じて出動しガダルカナル島北方にあって撤収支援、第一航空戦隊の飛行機隊はラバウルに進出し、また一部艦艇で牽制作戦を実施する(牽制作戦については後述)。 (3) 南東方面部隊(南東方面艦隊司令長官)(イ) 基地航空部隊(第十一航空艦隊司令長官)は南東方面に集中し、1月15日以降航空撃滅戦を強化し、駆逐艦の上空直衛をおこなう。 (ロ) 外南洋部隊(第八艦隊司令長官)はガダルカナル島に対する補給を継続しながら患者等を収容、また新規に歩兵一個大隊をガ島に揚陸し、ルッセル島を一時占領する。 (ハ) 外南洋部隊増援部隊(第十戦隊司令官木村進少将。麾下駆逐艦は、第十戦隊、第二水雷戦隊、第三水雷戦隊、その他部隊からの臨時編入艦)は駆逐艦22隻を集中して撤収輸送を実施する。 (4) 先遣部隊(第六艦隊司令長官)は潜水艦によるガダルカナル島への常続補給と患者収容を実施、ガ島南東海面において連合軍の偵察と増援阻止を実施、また一部艦によりフェニックス諸島カントン島を砲撃する。 1月8日、連合艦隊先任参謀黒島亀人海軍大佐(兵44期)はラバウルに出張した。1月9日、連合艦隊と第八方面軍は作戦協定を結ぶ。1月10日、南東方面部隊(指揮官草鹿任一海軍中将)は第八方面軍と現地作戦協定を結んだ。1月11日、第八方面軍は隷下部隊にガダルカナル島撤収を命令した。 なお撤退作戦準備中の1月19日、第十戦隊旗艦の駆逐艦秋月がブーゲンビル島沖合でアメリカ潜水艦ソードフィッシュの雷撃により中破する。第十戦隊旗艦は駆逐艦風雲に変更された。また秋月被雷時に第十戦隊司令官木村進海軍少将が負傷したため、第二水雷戦隊司令官の小柳冨次海軍少将が21日附で第十戦隊司令官に横滑りした。小柳少将は航空便でトラック泊地からラバウルへ移動し、風雲に将旗を掲げた。
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