増援軍団の到着と戦争の終焉
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「第三次奴隷戦争」の記事における「増援軍団の到着と戦争の終焉」の解説
レギウム メッサナ クロトン クラッススの軍団 ポンペイウスの軍団 この頃、ヒスパニアでのセルトリウスの反乱を鎮圧したポンペイウスがイタリアに帰還した。 クラッススが増援を要請したのか、単に元老院がちょうど帰還していたポンペイウスを反乱鎮圧に活用することに決めたのかは史料によって異なるが、いずれにせよポンペイウスはローマに立ち寄らずクラッススを援護するために南下するよう命ぜられた。元老院はまた"Lucullus"指揮下の増援を派遣しており、アッピアノスは誤ってこの人物を当時、第三次ミトリダテス戦争を戦っていたルキウス・リキニウス・ルクッルスとしたが、どうやら実際にはマケドニア属州長官のマルクス・テレンティウス・ウァッロ・ルクッルスであり、彼は前者の弟であった。ポンペイウスの軍団が南下し、ルクッルスの軍団もブルンディジウムに上陸すると、クラッススは迅速に反乱を鎮圧せねば勝利の栄誉は増援軍の将軍たちのものになりかねないと焦り、軍団兵たちに早急に反乱を終わらせるよう駆り立てた。 ポンペイウスの接近を知ったスパルタクスはローマ軍の増援部隊が到着する前に戦いを終わらせようとクラッススとの交渉を試みた。クラッススがこれを拒否するとスパルタクス軍の一部が包囲網を突破してブルティウム地方のペテリア(現在のストロンゴリ)西部の山岳地帯に逃れようとし、クラッススの軍団がこれを追撃した。軍団はスパルタクス軍本隊から分離したガンニクスとカストゥスが率いる集団の捕捉に成功し、これらの軍は勇敢に戦ったが12,300人が殺されて全滅した。 クラッススの軍団も無傷ではなかった。奴隷軍を追撃していた騎兵隊長のクィントクスと財務官スクローファスの率いる部隊がスパルタクスに迎え撃たれ潰走している。本職の兵士ではない反乱奴隷は限界に達していた。彼らはこれ以上逃げ回ることを望まず、一部の集団が本隊から離脱して勝手にクラッススの軍団に攻撃をかけた。 統制が失われたと知ったスパルタクスは軍勢を反転させて全兵力を集結し、迫りくるクラッススの軍団を迎え撃った。シラルス川の戦い(英語版)と呼ばれる最後の戦いが行われた。堀を巡らせて待ち構えるクラッススの軍団に対して、スパルタクスは「勝てば馬は幾らでも手に入る。負ければもう必要ない」と言い放って自らの馬を殺し、歩兵として戦った。スパルタクスは自らの手でクラッススを討ち取ろうと突進し、小隊長2人を殺す奮戦をしたが、結局、奴隷軍は殲滅され、大部分の者たちが戦場に斃れた。この戦いでスパルタクスも戦死したが、彼の死体は見つからなかった。 こうしてスパルタクス軍はクラッススによって壊滅させられた。ポンペイウスの軍はスパルタクスの軍と直接交戦することはなかったが、南下した彼の軍団は戦場から逃げ出した反乱兵5千人を捕えることができ、捕虜は全員虐殺された。この行為の後、ポンペイウスは元老院に急使を送り、「クラッススは確かに野戦で奴隷たちを制圧したが、この反乱を終わらせたのは自分である」と言わせて栄誉の大部分を要求し、クラッススとの対立を深めることになった。 反乱奴隷の大部分は戦場で命を落としたが、6千人がクラッススに捕えられ、ローマからカプアに至るアッピア街道沿いに十字架に磔にされた。
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