隷下部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:21 UTC 版)
「国境会戦 (朝鮮戦争)」の記事における「隷下部隊」の解説
第1師団は、最も古い師団の1つで1947年3月に創設され、ソ連帰りの将校が多く、歩兵連隊の1個は元中共軍連隊で他の連隊にも相当数の元中共軍兵士が編入されていたと言われている。第2、第3、第14の3個連隊を基幹としており、師団長は崔光少将。駐屯地は南川站であり、九化里に展開した。 第3師団は、1948年2月に創設され、最初に完全編成された師団であり、元中共軍兵の含有率は低かったが、将校の大部分はソ連帰りで部隊全般の士気は高く最強を誇り、侵攻時には第4師団と共に主攻正面に使用された。第7、第8、第9の3個連隊を基幹としており、師団長は李永鎬少将、駐屯地は平康站であり、雲川に展開した。 第4師団は、ソ連帰りが多く精鋭を誇った師団であった。1950年に第4野戦軍内の朝鮮人を集めて編成された独立団が編入され第18連隊となった。第5、第16、第18の3個連隊を基幹としており、師団長は李権武少将、駐屯地は南浦であり、漣川に展開した。 第6師団は、元中共軍第166師であり、1949年7月25日から10月にかけて約10,000名が北朝鮮入国後、新義州で800名の補充を受けて第13、第14、第15連隊からなる第6師団として編成された。師団長は、朝鮮戦争で二重英雄称号を授与された方虎山少将、駐屯地は新義州であり、開城北側に展開した。1個連隊は甕津半島に投入されたため、開城方面の師団主力は総員8,000名であった。 第105戦車旅団は、第107、第109、第203の3個連隊で編成されていたが、このうち第203戦車連隊(1個大隊欠)は開城・汶山方面で運用され、第203戦車連隊第2大隊と第107、第109戦車連隊が議政府方面に投入された。 軍団予備としては、第10師団および第13師団が拘置される計画であった。第10師団は第25、第27、第107の3個連隊を基幹とし、駐屯地は粛川であった。第13師団は第19、第21、第23の3個連隊を基幹としていたが、完全編成ではなく、開戦時兵力は6000名であった。師団長は崔勇進少将、新義州の駐屯地から金川に展開した。
※この「隷下部隊」の解説は、「国境会戦 (朝鮮戦争)」の解説の一部です。
「隷下部隊」を含む「国境会戦 (朝鮮戦争)」の記事については、「国境会戦 (朝鮮戦争)」の概要を参照ください。
隷下部隊
- 隷下部隊のページへのリンク