隷属民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:03 UTC 版)
「ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)」の記事における「隷属民」の解説
特権階級に従属する人々。クニャージのコルムレニエ(ru)(寄食地、扶養地)や村等の所領に住み、労働に従事した。『ルースカヤ・プラウダ』中最も低い位置づけにあり、これらの人々の殺人に対しては5グリヴナの罰金と規定された。この中にもさらに社会的地位の格差が存在した。(なお、社会的位置づけや用法は、キエフ・ルーシ期以降の歴史において変動するものがある。詳しくは各頁を参照されたし。) スメルド - 文脈上小作人を意味する。その死後に未婚の娘がいない場合は、スメルドの所有物はクニャージに接収された。 リャドヴィチ / ザークプ - 契約(リャド)に基づき他者の隷属民となった者。リャドヴィチは負債の返却義務を果たすまでの期間、ザークプは年季奉公者として労働を行った。両者の社会的立場は似通っているが、リャドヴィチの方がより新しく(12世紀)登場した社会層である。 ホロープ(ホロポストヴォ / 直訳:ホロープ集団)(ru) - 完全隷属民。まさに奴隷の位置にあった。課税の対象とはならず、このうちオベリ(Обель) と呼ばれる者は生涯隷属民の位置にあった。また、女性を指す言葉としてはローバ(роба)という名称があった。18世紀のピョートル1世の改革によってホロープも課税対象者となり、自然廃止されることとなった。
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「隷属民」の例文・使い方・用例・文例
- 中世における隷属民
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