第八艦隊 (日本海軍)
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第八艦隊(だいはちかんたい)とは、昭和17年(1942年)7月14日に日本海軍が編成した艦隊である。軍隊区分上は外南洋部隊として扱われた。
概要
日本海軍が、太平洋戦争中にニューギニア島・ソロモン諸島方面(外南洋)を担当する艦隊として水上部隊及び陸上部隊をもって編成した。アメリカ軍とのソロモン諸島の戦いでは最前線部隊として奮戦した。のちニューギニア方面は第九艦隊の担当となり、ソロモン方面作戦に専念する。戦争後半に水上部隊が引揚げられ、ブーゲンビル島ブインに置いた司令部からソロモン諸島に点在する基地間の輸送任務及び海軍陸戦隊の指揮を行った。
1945年(昭和20年)9月8日、司令官の鮫島具重中将が第17軍司令官の神田正種中将と共にオーストラリア軍タロキナ基地を訪問。降伏文書に調印した[1]。
編制
1942年7月14日、新編時の編制
1943年4月1日、ガダルカナル島撤退後の編制
- 直属:鳥海・青葉・夕張
- 第3水雷戦隊:川内
- 第1根拠地隊
- 附属:第26号掃海艇、28号掃海艇
- 第31駆潜隊
- 第32駆潜隊
- 第87警備隊
- 第1通信隊
- 呉鎮守府第7特別陸戦隊
- 佐世保鎮守府第6特別陸戦隊
- 第2特別根拠地隊
- 白鷹
- 第26駆潜隊
- 第34駆潜隊
- 第2通信隊
- 第12港務部
- 第7根拠地隊
- 第23駆潜隊
- 第82警備隊
- 第85通信隊
- 第8根拠地隊
- 日海丸・静海丸・第20号掃海艇、第21号掃海艇
- 第21駆潜隊
- 第24駆潜隊
- 第81警備隊
- 第84警備隊
- 第8潜水艦基地隊
- 第8通信隊
- 第8港務部
- 第8気象隊
- 第8連合特別陸戦隊
- 附属:津軽・宗谷・夕凪
- 呉鎮守府第7特別陸戦隊
- 佐世保鎮守府第5特別陸戦隊
- 第958航空隊
- 第4測量隊
1944年4月1日、戦時編制制度改定後の編制
- 第3水雷戦隊:夕張
- 第22駆逐隊:皐月・水無月
- 第30駆逐隊:卯月・夕月
- 第1根拠地隊
- 第26号駆潜艇、第28号掃海艇
- 第87警備隊
- 第1通信隊
- 呉鎮守府第7特別陸戦隊
- 佐世保鎮守府第6特別陸戦隊
- 第8根拠地隊
- 第23駆潜隊 敷設艇:夏島
- 第24駆潜隊 敷設艇:那沙美
- 第81警備隊
- 第86警備隊
- 第89警備隊
- 第8潜水艦基地隊
- 第8通信隊
- 第8港務部
- 第14根拠地隊
1944年8月15日、マリアナ沖海戦後の編制
- 第1根拠地隊
- 第87警備隊
- 第1通信隊
- 呉鎮守府第7特別陸戦隊
- 佐世保鎮守府第6特別陸戦隊
- 第8根拠地隊
- 第81警備隊
- 第86警備隊
- 第89警備隊
- 第8潜水艦基地隊
- 第8通信隊
- 第8港務部
- 第14根拠地隊
- 第83警備隊
- 第88警備隊
- 附属
- 第938海軍航空隊
- 第1輸送隊
1945年6月1日、最終時の編制
- 第1根拠地隊
- 第82警備隊
- 第87警備隊
- 第88警備隊
- 第1通信隊
- 呉鎮守府第7特別陸戦隊
- 佐世保鎮守府第6特別陸戦隊
- 附属
- 第20設営隊
- 第26設営隊
- 第32設営隊
- 第34設営隊
- 第121設営隊
- 第131設営隊
歴代司令長官
歴代参謀長
- 大西新蔵少将:昭和17年7月14日 -
- 山澄貞次郎少将:昭和18年3月29日 - 終戦
上級部隊
- 南東方面艦隊:昭和17年12月20日 - 終戦
脚注
- ^ 日置英剛『年表 太平洋戦争全史』国書刊行会、2005年10月31日、757頁。ISBN 978-4-336-04719-9。
関連項目
参考文献
- 日本海軍人事手帳(?) - ウェイバックマシン(2006年5月6日アーカイブ分)
第八艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 14:07 UTC 版)
6月18日、横須賀を出発して24日にトラック泊地到着。7月14日に第八艦隊が新編され、「津軽」は同艦隊附属となった。7月17日、ラバウルに進出。8月7日よりガダルカナル島の戦いがはじまると、「津軽」もショートランド泊地に進出してガダルカナル島への輸送作戦に従事した。9月3日、ガ島輸送従事中に米軍亥の空襲により至近弾を受ける。9月8日から10月10日までラバウルで修理を実施した。その後、再びショートランド泊地に進出し、輸送作戦に従事する。 11月30日、津軽艦長は稲垣義龝大佐(横須賀鎮守府附)から高橋一松大佐(暁初代艦長等を歴任。11月26日まで國洋丸監督官)に交代。稲垣大佐は翌年6月5日附で予備役に編入された。 1943年(昭和18年)2月25日、ラバウルで空襲を受けて損傷。3月10日、ラバウルを出発して19日に横須賀到着。修理と整備をおこなった。5月25日、横須賀を出撃、トラック泊地経由(5月30日-6月1日)で6月3日にラバウル到着。ラバウル、ブイン、トラック泊地間の魚雷輸送任務等に従事した。8月4日、トラック泊地を出撃してラバウルに向かう。8月5日、米潜水艦(シルバーサイズ)から雷撃されて損傷し、6日にラバウル到着。応急修理後の8月31日にラバウルを出発し、9月12日にトラック泊地着。9月12日にトラックを出発、18日に横須賀到着。修理と整備を実施した。9月20日、津軽艦長は高橋一松大佐から中津成基大佐に交代する。後日、高松は第二護衛船団司令官に任命され、松型駆逐艦1番艦「松」沈没時に戦死した(スカベンジャー作戦)。
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