セ号作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 15:28 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動セ号作戦
- ニュージョージア島の戦い - 1943年10月のコロンバンガラから撤退する日本軍の作戦が「セ号作戦」。
- 第3航空軍 (日本軍) - 1944年8月に日本陸軍が行ったインド方面への航空作戦が「セ号作戦」。
せ号作戦
- 浙江省 (中華民国) - 1942年に日本の支那派遣軍が行った浙江省方面への敵航空基地攻撃作戦が「せ号作戦」。
セ号作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 17:47 UTC 版)
「ニュージョージア島の戦い」の記事における「セ号作戦」の解説
当時、第八艦隊はブーゲンビル島ブインの第一根拠地隊司令部を間借りしていた。9月15日、日本軍はコロンバンガラの放棄を決定する。この新情勢に関し、同艦隊参謀の木阪義胤中佐は、コロンバンガラ島からの撤退作戦を立案した。コ島からの撤収作戦は「セ」号作戦と命名された。この作戦の目的は、コロンバンガラ島に集結した日本軍12,000名を、チョイセル島を経由してブーゲンビル島に撤退させることである。チョイセル島とコロンバンガラ島は最短で48キロしか離れておらず大発などの舟艇を多用することとなったが、収容可能な人数が少ないため2往復する事となった。また、外南洋部隊襲撃部隊(第三水雷戦隊)の殆どの駆逐艦を投入する作戦となった。第八艦隊側は「狭い海峡なので鳥海級巡洋艦は投入しない」と説明した。
※この「セ号作戦」の解説は、「ニュージョージア島の戦い」の解説の一部です。
「セ号作戦」を含む「ニュージョージア島の戦い」の記事については、「ニュージョージア島の戦い」の概要を参照ください。
- セ号作戦のページへのリンク