日本軍の情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 18:00 UTC 版)
詳細は「絶対国防圏」を参照 この頃、主に船舶問題の観点から太平洋における戦域の全般的な見直しが図られ、その結果いわゆる「絶対国防圏」と呼ばれるものが設定され、それに合わせて新たな戦争指導要綱が策定、これは従来の攻勢的な指導から長期持久体制の確立を謳った第三段作戦方針からさらに踏み込んで、南東地域のラバウルや北部ソロモン諸島、東部ニューギニア地域は絶対国防圏の外郭とされ、この地域は主に現有戦力をもって敵の撃破に努め、明年春以降の後方要域の完成まで可能な限り持久戦闘を続けるというものであった。 この構想は、ヨーロッパ情勢(イタリアの枢軸よりの脱落、ドイツ軍の敗勢)や相次ぐ消耗からの船舶不足に起因する、政府(陸軍省)側からの意向が強く反映されたもので、作戦指導的立場ではなくどちらかと言えば戦争指導的な立場から発案されたものだった。しかしながらこの構想は前線と後方要域という、「陣地」を重視する陸上作戦的な思想の元に策定されたものであり、機動部隊をもって自在に攻撃目標を捉え、前線において可能な限り敵の攻撃を食い止めている間に好機あらば決戦を挑もうとする海軍の思想とは相反するものであった。そのため決戦兵力を擁する連合艦隊ではこの構想に疑問をおぼえ、むしろ陸軍側の消極的な構想に批判的な立場をとった。また後方要域の強化も、船舶、兵力抽出の問題から容易なことではなく、新たな前線として設定された小スンダ列島には第19軍が、西部ニューギニアは第2軍の担当地域とされはしたが、当面連合軍を迎え撃つ地域である西部ニューギニアへ投入される部隊は11月に到着予定の第36師団のみで、後続の第3師団の到着は翌年4月までかかる状況であった。またその一方で参謀本部は小スンダ列島のフローレス島には先に第46師団の投入を10月に決めており、強化すべき地域の順序が逆ではないかと第19軍の稲田正純から批判されているまた、確保すべき前線拠点としてホーランディアが参謀本部より指示されたが、連合軍の進撃速度から鑑みてホーランディアでは第36師団の進出は間に合わないと、第2軍および第19軍を統括する第2方面軍側は訴えたが、ホーランディア確保の必要論から参謀本部もこの考えを変えず、結局11月に歩兵1個連隊をホーランディアに揚陸することとなった。 この構想が発令された9月下旬は、連合軍がダンピール海峡の要衝フィンシュハーフェン近郊に上陸した時期であり、後方要域の強化に取り掛かかる前に早くもその外郭が崩れさろうとしていた。当時参謀本部第六課(米英情報担当)の参謀であった堀栄三によれば、ニューギニアへ現地視察へ赴いた際、第四航空軍司令官寺本熊市から、「大本営作戦課はこの九月、絶対国防圏と言う一つの線を、千島-マリアナ諸島-ニューギニア西部に引いて絶対にこれを守ると言いだした。一体これは線なのか点なのか?(中略)要するに制空権がなければ、みんな点(孤島)になってしまって、線ではない。(中略)大きな島でも、増援、補給が途絶えたたら、その島に兵隊がいるというだけで、太平洋の広い面積からすると点にさせられてしまう(後略)」という批判を聞いたという。また当時軍令部戦争指導班長だった大井篤も「誰の目にも明らかなように、作戦の鍵は航空戦力であると見られていた。いまラバウル、ソロモンの前線でさんざん敵に圧迫されて苦戦している重大原因も、こちらの航空戦力が足りないからであった。そしてマリアナ、カロリンの線に後退してみたところで、航空戦力が不足ではそこでも敵を食いとめる見込みがない。この新しい防御戦を「絶対国防圏」と名前だけえらそうにつけてみたところで、絵にかいた虎の役にもたたないだろう。」と回想している。 現地の主力であった第一基地航空部隊は9月22日の連合軍フィンシュハーフェン上陸や9月25日に始まるセ号作戦支援のため、乏しい戦力を東部ニューギニア、中部ソロモンとやりくりを続けていたが、10月12日、「セ号作戦」終了を期に、一ヶ月程度を目処として東部ニューギニア方面の連合軍補給遮断作戦である「ホ号作戦」を開始した。この間主にフィンシュハーフェン周辺の連合軍拠点を攻撃、15日には陸軍の総攻撃に呼応してフィンシュハーフェン周辺の連敵陣地や物資集積所を陸攻で夜間爆撃を実施した。この頃の南東方面艦隊は連合軍のフィンシュハーフェン占領以降、急迫するダンピール海峡方面の連合軍の動静に注目しており、同海峡地区の確保を目指す南東方面艦隊は、フィンシュハーフェンの対岸に位置する西部ニューブリテン島に対する敵の上陸を非常に懸念していた。このような状況下、10月1日~10月12日までの間に連合艦隊および南東方面の各海軍部隊から各所に以下のように繰り返し警報が発せられている。 10月1日 南東方面部隊から 10月6日 連合艦隊から(この日ウェーク島に米機動部隊の空襲があった) 同日 ビスマルク諸島方面防備部隊から(ニューブリテン島西岸付近に敵新企図の兆候) 10月11日 南東方面部隊から(ニューギニア方面の敵艦船増加) 10月12日 南東方面部隊から(ラバウルに初の戦爆連合昼間空襲) 同日 ビスマルク諸島方面防備部隊から(同上の理由により) その後20日には連合軍ダンピール岬に上陸という現地人の情報を得た南東方面艦隊は、23日以後28日まで4回の予定で同地の防衛強化のための輸送隊を送ることとし、基地航空部隊に上空警戒を実施させた。しかし25日になり、ブインに司令部を置く第八艦隊司令長官の鮫島具重は「敵上陸の算大ナリ、第一警戒配備トナセ」と指令した。これは捕虜の証言によりこの日ブーゲンビル島に上陸の計画があるとの情報があったためと推定される。しかし当時南東方面艦隊はダンピール海峡、西部ニューブリテン方面を重視しており、また、ソロモン方面に振り向ける戦力もなく、10月25日、26日とも通常の哨戒を実施するのみで、26日も航空哨戒も見張り所からも特に報告はなく、同日、ソロモン方面防備部隊指揮官は第一警戒配備を解除してしまった。 10月27日午前1時25分、ショートランドおよびモノ島方面の哨戒に向かった九三八空の水偵のうち1機がモノ島付近に駆逐艦5隻を発見、その後同島西方沖に停止したのを確認しブーゲンビル島南方を哨戒したあと帰着した。九三八空は4時15分に「敵水上部隊13隻見ユ…モノ島に向フ」と打電した。その後モノ島守備隊から「〇三四〇 敵上陸開始、我交戦中」との報告が届き、ブインの第八艦隊司令部は6時29分「敵大部隊、モノ島に上陸開始セリ」と各部に打電した 10月27日時点での第十一航空艦隊の航空機保有数は以下の通りであった。 10月27日時点の航空戦力戦闘機九九式艦上爆撃機彗星艦上攻撃機陸上攻撃機偵察機保有機128機 17機 5機 15機 75機 1機 実働機72機 10機 1機 14機 36機 0機 この内、艦攻と陸攻は主に哨戒任務や夜間攻撃任務に従事していたため、南東方面において昼間攻撃に使用できる戦力はこのときわずか83機に過ぎなかった。ラバウルの基地航空部隊はこの様な緊迫した情勢の中、27日の連合軍のモノ島上陸を迎えた。 現地の基地航空部隊のほかに日本海軍の決勝戦力と位置づけられていた第一航空戦隊(一航戦)も作戦に投入されている。一航戦の陸上基地投入がその俎上に上がったのは、2月の八一号作戦の計画時に始まる。この計画時において輸送船団の上空警戒に多大な不安を抱えていた陸軍参謀本部は海軍軍令部へ、母艦飛行機隊の全力投入を要請した。軍令部もその必要性は認めたものの、第三艦隊の反対などもあり、結局瑞鳳零戦隊のみで十分と判断し全力援護は実施しなかった。結果的に八一号作戦は失敗に終わり、陸軍側は海軍の作戦協力に関して相当な不満を抱えることとなった。6月30日、連合軍はソロモン諸島のレンドバ島に上陸、やがて始まったニュージョージア島の戦いに関する7月9日に行われた陸海軍部間の作戦指導方針の打ち合わせの中で、陸海軍双方から母艦飛行機隊の陸上基地投入が提案されたが、すでに第二航空戦隊をソロモン方面へ投入している連合艦隊側はこれを拒否した。その後現地守備隊である南東支隊からニュージョージア島からの撤退が表明された8月5日、同地確保を目指す南東方面艦隊、第八艦隊から兵力増強が中央へ意見され、連合艦隊側からも母艦飛行機隊の投入を含む兵力増強による中部ソロモン方面の態勢挽回の意向が伝えられた。軍令部もこれを受けて翌7日に参謀本部と協議を重ねたが、一航戦投入の条件として海軍側が提示した陸軍一個連隊の増援は見込めず、陸軍側もニュージョージア島の奪回に懐疑的な姿勢を崩さなかったため、結局この提案は実現を見ず、13日に中部ソロモンからの撤退が決まった。この一件以降、連合艦隊は一貫して一航戦投入に対して反対を表明をしており、8月28日、南東方面艦隊からの増援要請を拒絶、9月22日、連合軍がダンピール海峡西岸地区のアント岬に上陸した際も大本営で一航戦投入が検討されたが、軍令部側から提案された、一航戦の南東方面投入後の措置として南西方面への陸軍航空隊の増強に対し、参謀本部側が難色を示したため、結局一航戦の南東方面投入は沙汰止みとなった。さらに9月26日、「セ号作戦」中手薄となるニューギニア方面の支援を南東方面艦隊が要請した際も連合艦隊は再び拒絶している。さらに同日、トラックを訪れた軍令部第一部長中澤祐と綾部橘樹参謀本部第一部長からの直接の要請に対しても連合艦隊は拒絶し、却って陸軍航空戦力の増加を要請されている。また、10月1日に東部ニューギニアのフォン半島北部のシオに敵上陸の報告があり、急遽その事態に対応するため陸海軍部の主務者間で作戦研究が行われたが、これは誤報であった。 この場で陸軍部からニューギニア方面への一航戦投入が強く要求されたが、この時は軍令部側も連合艦隊の意向を受けてこの要求を拒絶、翌日参謀部次長から軍令部次長に再度要求が出されたがやはり拒否の姿勢を貫いている。これら母艦飛行機隊の投入要請の根拠となったものは、3月に締結された陸海軍中央協定の「状況に依り好機母艦飛行機を転用増強することあり」とした一文によるものだったが、こういった要請に対し連合艦隊は基本的に拒否の姿勢を示しており、9月以降は米海軍機動部隊の策動に対し中部太平洋での決戦近しと考えていたため、各方面からの増援要請をことごとく拒絶している。また、当初は一航戦の陸上基地投入に前向きであった軍令部側も、中部太平洋での決戦生起の可能性が高まった10月以降は一貫してこの要請を拒んでいる。
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