日本軍の指揮系統問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 04:41 UTC 版)
「ミンダナオ島の戦い」の記事における「日本軍の指揮系統問題」の解説
広大なミンダナオ島の防衛に関し、日本軍の指揮系統は確立されていなかった。本来は既述のように第35軍司令部が統括するはずであったが、第35軍司令部のレイテ島からの移動が難航した。ミンダナオ島にアメリカ軍上陸後の3月24日にようやくセブ島に到着し、さらにカヌーに分乗してネグロス島経由ミンダナオ海横断を試みたが、連合軍の航空機や武装舟艇の攻撃を受け、4月19日に軍司令官鈴木中将は戦死した。軍参謀長の友近美晴少将のみがミンダナオ島に合流できた。友近少将は島内の掌握に努めたが、成功しなかった。 また、陸軍航空部隊は、地上の第35軍とは別系統で航空部隊だけを指揮していた。ネグロス島北部から転進してきた第2飛行師団長の寺田済一中将の指揮下に、ミンダナオ島内には約8000人の人員と戦闘機1機を持っていた。5月14日に第2飛行師団司令部が九七式重爆撃機で収容され、17日に師団も解隊されるまで、この複雑な指揮系統が残った。 結局、第30師団司令部と第100師団司令部が、それぞれの担当地区内に所在する航空隊や海軍部隊を併せて指揮することになったが、島内全体での統一的な作戦行動はできないで終わった。これは日系民間人の保護についても、十分な措置がされない結果を招いた。
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