外郭とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 言葉 > 状態 > 囲い > 外郭の意味・解説 

がい‐かく〔グワイクワク〕【外郭/外×廓】

読み方:がいかく

城や建物周囲めぐらす囲いそとがこいそとぐるわ転じて一般にそとまわり外側のもの。⇔内郭


そと‐ぐるわ【外郭】

読み方:そとぐるわ

城の外周巡らしたくるわ。がいかく。とぐるわ。→内郭(うちぐるわ)

外側囲いまた、外まわり区画がいかく

最後の球を打つ為に、—の線の一角立った」〈藤村破戒


曲輪

(外郭 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 00:31 UTC 版)

曲輪(くるわ)とは、の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称である。(くるわ)とも書く[注 1]




「曲輪」の続きの解説一覧

外郭(四の丸)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 22:49 UTC 版)

久留米城」の記事における「外郭(四の丸)」の解説

城内で最も広く三の丸の南に存在した郭。久留米藩の上級の家臣団屋敷や御郡支配方、御普請方などの藩役所多く設けられていた。また、明善堂祇園社などが置かれていた。現在は福岡地方裁判所久留米支部久留米市城南中学校篠山小学校などがある。 大手門おおてもん) 外郭の南西置かれていた、久留米城最大の門。亀屋町結んでいたことから亀屋町とも呼ばれていた。久留米城出入りする門の一つ城内の門の中で最も格式高く藩主参勤交代交代の際によくこの門が使用されたという。現在は篠山神社鳥居立っている。 狩塚橋(かりづかばし) 外郭の南東置かれていた門。祇園社行われていた祇園会の際に使用される山車出入りしていた。現在は久留米商工会議所がある。 祇園社ぎおんしゃ) 外郭の中心部より少し東側にある神社875年貞観17年)に創建された真言宗寺院1868年慶応4年)の神仏判然令により祇園神社素戔嗚神社)となり、現在に至る。毎年6月行われた祇園会久留米城城下三大祭の一つで、神幸行列藩主家族も見物する大規模なのだった明善堂(めいぜんどう) 外郭の南に存在した藩校大手門のすぐ北西側存在した第8代久留米藩有馬頼貴1783年天明3年)に学問所藩校)を開いたのが始まりである。1787年天明7年)には「修道館」と名付けられたが、1794年寛政6年)に焼失した1796年寛政8年)、藩校再建し新たに明善堂」と名付けられた。以後今日福岡県立明善高等学校至っている。幕末勤王家・真木保臣は当藩校出身である。 御使者屋おししゃや) 狩塚橋対岸存在した久留米藩迎賓館1831年天保2年)に片原町建設され明治時代に入ると三潴県役所庁舎などに使用され1929年昭和4年)まで久留米市役所利用された。その後鉄筋コンクリート製の市庁舎建てられ1995年平成7年)に現在の市庁舎代わるまで使われていた。現在は両替町公園となっており、御使者屋囲んでいた築地塀玄関口石垣保存されている。

※この「外郭(四の丸)」の解説は、「久留米城」の解説の一部です。
「外郭(四の丸)」を含む「久留米城」の記事については、「久留米城」の概要を参照ください。


外郭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 09:43 UTC 版)

不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫」の記事における「外郭」の解説

機械仕掛けモンスターが多い。

※この「外郭」の解説は、「不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫」の解説の一部です。
「外郭」を含む「不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫」の記事については、「不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫」の概要を参照ください。


外郭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:53 UTC 版)

江戸城」の記事における「外郭」の解説

大手前・大名小路 開幕前は侍衆・町人混在している居住地であったが、開幕後大名屋敷地となる。大名屋敷の他には大手前には一ツ橋家の屋敷舂屋(つきや、精米所)・小普請屋敷北町奉行所が、大名小路には評定所南町奉行所があった。 総構外濠 (東京都)」を参照

※この「外郭」の解説は、「江戸城」の解説の一部です。
「外郭」を含む「江戸城」の記事については、「江戸城」の概要を参照ください。


外郭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 02:07 UTC 版)

コンウィ城」の記事における「外郭」の解説

城門は外郭に通じており、そこはかつて構築された際には、多様な管理および給仕建物占めていた。「北西の塔」(North-West Tower) は門衛城門番人)の詰め所経由し一定の収容設備貯蔵場があった。「南西の塔」(South-West Tower) は城代、あるいは城の衛兵使用されたと考えられパン焼場 (bakehouse) もあった。外郭の南側には、地下室の上設置され大広間 (Great Hall) や礼拝堂 (Chapel) を含む一連の構造物があり、現在は露呈している。1340年代より残存する石材アーチ1つなどが今もなお見られる大広間後ろには、城代囚人留置するために使用した監獄の塔」(Prison Tower) があり、ここには16世紀に「借金を負う者の部屋」(‘dettors chambre’〈‘debtors' chamber’〉) と呼ばれた囚人収容する別室地下牢ダンジョン)などがあった。外郭の北側には、台所 (Kitchen) を始め醸造所パン焼場といった一連の給仕建物が、収容施設貯蔵室のある「炊事の塔」(Kitchen Tower) のもとにあった湧き水源泉とする城の井戸 (Well) が中門傍ら(外郭の東側)に残り今日深さは約 27.8メートル (91 ft) となる。

※この「外郭」の解説は、「コンウィ城」の解説の一部です。
「外郭」を含む「コンウィ城」の記事については、「コンウィ城」の概要を参照ください。


外郭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 21:10 UTC 版)

ペンブルック城」の記事における「外郭」の解説

面積約7600m2の外郭 (Outer Ward) は、1258年頃、ウィリアム・ド・ヴァランスの時代より増拡が開始され、外郭壁の5か所の円塔、および大きな左右一対ゲートハウス門楼)にあるバービカン (Barbican) により守られている。外壁と円塔は1260年代より築かれたもので、このうち城守 (constable) と家族居住した3階建てゲートハウスより続く西隣りにある円塔が、かつてヘンリー7世生誕の地であったともいわれ、「ヘンリー7世の塔」(Henry VII Tower) と称されている。城の入口にある半円形バービカンは、14世紀初頭、エイマー・ド・ヴァランス(英語版)により追加された。また同じく外郭の北東側の「聖アンナ稜堡堡塁)」(St Anne’s Bastion) と呼ばれる防壁もエイマーにより追加されたものと考えられるペンブルック城は、大きなキープのあるノルマン様式囲われた城であるが、正確に連鎖要塞英語版)とされ、それは13世紀後半カーナーヴォンコンウィにある城と同様、囲まれ堅固な高台建てられことによる。これは攻め手が狭い前方からしか攻撃し得ないことを意味する建築的には、ペンブルック城の最も厚い壁ならびにゲートハウスはすべて陸地の町の側面集中しており、周囲残り部分は、湾曲するペンブルック川が自然の防御施している。

※この「外郭」の解説は、「ペンブルック城」の解説の一部です。
「外郭」を含む「ペンブルック城」の記事については、「ペンブルック城」の概要を参照ください。


外郭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 22:50 UTC 版)

ビューマリス城」の記事における「外郭」の解説

城の設計は、内郭 (Inner Ward) と外郭 (Outer Ward)を形成し次いで幅 5.5メートル (18 ft) の水堀 (Moat) に囲まれるが、今日部分的に埋まる。城の表口は海に最も近い門で、城の潮汐によるドック (Dock) に隣接し満潮時に海より直接補給することができた。ドックは、後にガナーズ・ウォーク (Gunners Walk) と名付けられた壁ならびに中世時代攻城兵器トレビュシェット投石器)を納めたとされる発射台により防御されていた。海に近い門 (Gate next the Sea) は、跳ね橋矢狭間殺人孔防備され外側バービカン (Barbican) に入る外郭に通じていた。 外郭は、横幅およそ 60フィート (18 m) の領域を囲む12基のタレット(小塔)を備えた8面カーテンウォール(幕壁)からなり一方出入口は海に近い門 (Gate next the Sea) の前に通じており、もう一方は、スランフェス門 (Llanfaes Gate) が城の北側通じていた。防御には当初164か所の矢狭間など、約300か所に弓兵射撃場所が備えられていたが、地上層の64か所の狭間は、後に攻め手利用されるのを防ぐために、15世紀初頭もしくは内戦のうちに塞がれた。

※この「外郭」の解説は、「ビューマリス城」の解説の一部です。
「外郭」を含む「ビューマリス城」の記事については、「ビューマリス城」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「外郭」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「外郭」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



外郭と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「外郭」の関連用語

外郭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



外郭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの曲輪 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの久留米城 (改訂履歴)、不思議のダンジョン 風来のシレン3 からくり屋敷の眠り姫 (改訂履歴)、江戸城 (改訂履歴)、コンウィ城 (改訂履歴)、ペンブルック城 (改訂履歴)、ビューマリス城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS