吹上奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 14:23 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動吹上奉行(ふきあげぶぎょう)は、江戸幕府における職名の1つ。吹上花畑奉行、吹上御花畑奉行とも呼ばれる。
概要
江戸城内の西の丸背後にある吹上御苑の花壇、築山、泉水、植込の刈込や手入れの指揮を職務とした[1]。若年寄支配で、焼火之間詰の200俵高、役扶持として7人扶持[1]、役金10両を支給された[2]。慶応3年(1867年)に、禄高に関わらず役金300両とされ、月割で支給されることになった。定員は2~3名。役所は、庭園の北側の、北桔橋(きたはねばし)の近くに設けられていた。
属僚
配下として庭之者支配、吹上筆頭役、筆頭役並、役人目付、書役、書役下役、座敷方、鳥方、御庭入口番人、薬園方、花壇方、苗木方、織殿之者、大工役之者、普請方、掃除之者、山里庭之者、御庭方、三丸明地口番人などがいた。
- 吹上添奉行
- 吹上奉行の次席で、若年寄支配の焼火之間詰。定員4名。御目見以上。100俵高で役料5人扶持と役金15両[3]を給された。奉行と同じく吹上御苑の管理を掌り[1]、添奉行から奉行に昇進した。
- 庭之者支配
- 若年寄支配で、焼火之間詰。100俵高で役扶持7人扶持を給された。
- 吹上筆頭役(ふきあげひっとうやく)
- 奉行・添奉行とともに吹上御庭を管理する職。若年寄支配で、御目見以下の譜代席、50俵高で役金は3両であった[2]。正徳3年(1713年)5月2日に設置、定員は2名、焼火之間詰で町屋敷を拝領した[4]。吹上役人目付と同様、植木作りや山作りの心得のある者が任命され、後に鷹方へ昇進したという[1]。吹上筆頭役並(ふきあげひっとうやくなみ)という役職もあり、これは若年寄支配で、御目見以下の持高勤で役金は13両、焼火之間詰で定員は1名であった[4]。
- 吹上織殿之者(ふきあげおりどののもの)
- 吹上御庭の織殿で将軍家御用の衣類を織る役目を負った者。若年寄支配で、御目見以下の3人扶持。『天保年間諸役大概順』では1人が役金5両、2人は役金3両とある。また、『吏徴』では定員10名、役金は15両が1人、3両が1人、見習いは2人扶持となっている。江戸三番町と飯田町[5]、巣鴨[6]にある御用屋敷に出向いて、綿羊の毛を刈って和羅紗を織ったとされる[1]。羊毛が採取できない時期には、犬の柔毛を用いる場合もあったという。
- 吹上書役(ふきあげかきやく)
- 吹上御庭に関する諸々の記録を作成し、管理する職。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で役金は金1両であった[2]。定員は4名で、配下として吹上書役下役(ふきあげかきやくしたやく)34名がいた[4]。書役下役は、書役の指示で諸記録を作成する役目。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で見習いは3人扶持だった[4]。
- 吹上花壇役(ふきあげかだんやく)
- 吹上御庭の花壇を管理する者。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤であった[2]。定員7名で役扶持として3人扶持を支給された[4]。
- 吹上大工役之者(ふきあげだいくやくのもの)
- 吹上御庭にある建物の建築・修繕を行った。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で道具代として1年につき金5両を支給された[2]。定員6名、見習之者は3人扶持となっている[4]。
- 吹上鳥方(ふきあげとりかた)
- 吹上御庭の鳥籠で飼われていた丹頂鶴・孔雀・家鴨・鳩などを飼育・管理する役職。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で、世話役は3人扶持に救金5両が支給された[2]。定員6名で、世話役はその中から選ばれた[4]。
- 吹上苗木方(ふきあげなえぎかた)
- 吹上御庭の苗木作りや植木の栽培をする役職。若年寄支配で、御目見以下の抱席、持高勤で、定員は3名[4]。
- 吹上普請方之者(ふきあげふしんかたのもの)
- 吹上御庭内の大池、築山、泉水、馬場などの普請を行った。若年寄支配で御目見以下の抱席。持高勤で役金12両を支給。定員37名[4]。普請方の中から数名の者が吹上普請方組頭(ふきあげふしんかたくみがしら)に選ばれ、普請の責任者とされた。組頭は若年寄支配、御目見以下、抱席。3人扶持で、役銀13枚が支給され、町屋敷も拝領された[4]。
- 吹上役人目付(ふきあげやくにんめつけ)
- 吹上御庭に携わる役人の勤務などを監察する職。若年寄支配で御目見以下の抱席。定員8名。3人扶持で、うち2名は役金13両、6名は銀12枚を支給された[4]。吹上筆頭役と並び、植木作り・山作りの心得のある者が任ぜられた[1]。
- 吹上掃除之者(ふきあげそうじのもの)
- 吹上御庭の掃除を任務とした者。詳細は掃除之者を参照。
- 吹上御座敷方(ふきあげおざしきかた)
- 吹上御庭にある建物内の実務を司る職。若年寄支配で、御目見以下、持高勤の抱席であった[2]。御座敷方を統括する吹上御座敷方世話役(ふきあげおざしきかたせわやく)は、御座敷方の中から選ばれた。世話役は役扶持として3人扶持を支給され、それとは別に役金3両を例年暮れに受取った[2]。
- 吹上御庭入口番人(ふきあげおにわいりぐちばんにん)
- 吹上門や吹上矢来門などを警備する門番。定員37名、目付と若年寄の支配を受け、御目見以下の持高勤の抱席であった[4]。責任者として番人の中から組頭が数名選ばれた。組頭は役扶持として3人扶持を支給された[4]。
- 吹上御庭方(ふきあげおにわかた)
- 吹上御庭内の実務を行った職。若年寄支配で、御目見以下の持高勤、抱席であった[2]。
- 吹上御薬園方(ふきあげおやくえんかた)
- 吹上御庭内の薬草製法所で、薬草の栽培や管理を司る職。若年寄支配で、御目見以下の持高勤、抱席であった[2]。定員は2名[7]、または1名[4]となっている。
脚注
- ^ a b c d e f 『明良帯録』より。
- ^ a b c d e f g h i j 『天保年間諸役大概順』より。
- ^ 『天保年間諸役大概順』では役金5両となっている。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『吏徴』より。
- ^ 現在の東京都千代田区。
- ^ 現在の東京都豊島区。
- ^ 『憲教類典』より。
参考文献
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- 『江戸時代役職事典』 川口謙二、池田孝、池田政弘著 東京美術選書 1981年 ISBN 4-8087-0018-2
- 『江戸時代奉行職事典』 川口謙二、池田孝、池田政弘著 東京美術選書 1983年 ISBN 4-8087-0139-1
- 『徳川幕府事典』 竹内誠編 東京堂出版 2003年 ISBN 4-490-10621-1
- 『江戸幕府大事典』 大石学編 吉川弘文館 2009年 ISBN 978-4-642-01452-6
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