ひろさき‐じょう〔‐ジヤウ〕【弘前城】
弘前城
名称: | 弘前城 |
ふりがな: | ひろさきじょう |
名称(棟): | 天守 |
名称(ふりがな): | てんしゅ |
番号: | 0979 |
種別1: | 近世以前/城郭 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1937.07.29(昭和12.07.29) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 青森県 |
都道府県: | 青森県弘前市大字下白銀町1 |
所有者名: | 弘前市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 三重三階櫓、銅瓦葺 |
時代区分: | 江戸後期 |
年代: | 文化7(1810) |
解説文: |
弘前城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 20:26 UTC 版)
弘前城(ひろさきじょう)は、陸奥国鼻和郡(のち統合と外浜(青森)、西浜(十三湊)を編入で津軽郡)弘前(現・青森県弘前市下白銀町)にある日本の城。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
注釈
出典
- ^ 新人物往来社編『日本の城原風景 城古写真カタログ』新人物往来社 2000年 - 北面に多門櫓が付属している様子を撮影した古写真がある。
- ^ 「文部省告示第288号」『官報』1937年7月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 記念スタンプ「逓信省告示第1126号」『官報』1937年4月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “石垣修理へ試掘調査進む/弘前城本丸 ”. 陸奥新報. (2012年9月9日). オリジナルの2012年9月20日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ 弘前城石垣を大修理 16年度から[リンク切れ] - 読売新聞 2012年9月26日
- ^ “天守の曳屋終え職人万感 「宝守る」貫徹”. Web東奥 (東奥日報社). (2015年10月25日). オリジナルの2015年10月26日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ “弘前城天守の曳屋16日スタート”. Web東奥 (東奥日報社). (2015年8月14日). オリジナルの2015年8月25日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ “100年ぶり天守持ち上がる/弘前城曳屋開始”. Web東奥 (東奥日報社). (2015年8月16日). オリジナルの2015年8月25日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ 天守35センチ上昇 弘前城、揚屋第1工程終了[リンク切れ]
- ^ “弘前城天守、2日間で22.3メートル移動”. Web東奥 (東奥日報社). (2015年9月4日). オリジナルの2015年9月5日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ “天守曳屋、固唾のみ見守る市民”. Web東奥 (東奥日報社). (2015年9月4日). オリジナルの2015年9月6日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ “弘前城:天守グルリ25度「無事成功」 青森で石垣修理”. 毎日新聞. オリジナルの2015年9月21日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ “くるっ 2時間で25度/弘前城の曳屋”. Web東奥 (東奥日報社). (2015年9月14日). オリジナルの2015年9月21日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
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- ^ “<弘前城>天守お引っ越し 曳屋工事完了”. 河北新報オンラインニュース. (2015年10月25日). オリジナルの2015年10月25日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ “天守着座、100年ぶりの曳屋終了/弘前城”. Web東奥 (東奥日報社). (2015年10月24日). オリジナルの2015年10月25日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ “弘前城:動く天守ついに着座 6年後に元の位置に 青森”. 毎日新聞. (2015年10月25日). オリジナルの2015年10月25日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
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- ^ 三浦正幸監修『【決定版】図説 天守のすべて』学習研究社 2007年
- ^ 弘前城天守台から壺/明治~大正期の遺構[リンク切れ]
- ^ “弘前城天守下でイカ型の石見つかる 「任天堂の仕業?」とネットで話題に”. 弘前経済新聞. (2017年7月20日) 2023年1月15日閲覧。
- ^ 弘前城天守台でイカ型隅石発見[リンク切れ]
- ^ “弘前城:石垣から「イカの形の謎の石」名は「いかすみ石」”. 毎日新聞. (2017年7月19日). オリジナルの2017年7月19日時点におけるアーカイブ。 2023年1月15日閲覧。
- ^ a b “【千田嘉博のお城探偵】木々で見えぬ真価 弘前城”. 産経ニュース (産経新聞社). (2020年11月2日) 2019年11月18日閲覧。
- ^ “弘前城合体ロボ「超城合体タメノブーンV」登場”. 観光Re:デザイン. 株式会社ジェイクリエイト (2016年6月1日). 2023年1月15日閲覧。
- ^ 弘前 城ロボプロジェクト「超城合体タメノブーンⅤ」 - 弘前市公式サイト
弘前城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:01 UTC 版)
詳細は「弘前城」を参照 青森県弘前市 1611年(慶長16年)築城 - 1871年(明治4年)廃城 天守建造年:1810年(文化7年) 大名分類:外様 石高:10万石 築城者:津軽為信、津軽信枚 主な改修者:津軽寧親 代表紋章:「津軽牡丹(つがるぼたん)」 文化財指定:史跡、重要文化財9棟 その他指定:日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(4番)、美しい日本の歴史的風土100選 独立式層塔型3重3階の天守で、現在の現存天守の中では日本最北かつ最東端の地にある。1627年(寛永4年)に落雷により天守を焼失した後、1810年(文化7年)に幕府にはばかって名目上櫓として3重3階層塔型構造で新築したもので、「御三階櫓」と名付けられた。城外側にあたる東・南面には切妻破風を2重に重ねて出窓や出張を設け、窓の代わりに矢狭間を用いた構えであるが、城内側にあたる西・北面には天守建築の特徴の一つである破風がなく、連続した窓があけられている。また、凍結に対応するために鯱や屋根は銅瓦(木型の上に銅板を貼り付けているもの)が用いられている。
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