旧名手宿本陣
名称: | 旧名手宿本陣 |
ふりがな: | きゅうなてじゅくほんじん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 和歌山県 |
市区町村: | 紀の川市 |
管理団体: | 紀の川市(昭50・8・8) |
指定年月日: | 1970.04.02(昭和45.04.02) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S44-12-012旧名手宿本陣.txt: 本陣妹背家は、紀伊八庄司の一人で、畠山氏に属し、名手庄市場村に住したが、元和年間、徳川氏の紀州入国とともに地士となり、また本陣に指定され、寛永年間には、名手組19か村の大庄屋を命ぜられた。 名手宿は、大和街道の和歌山より7里半の位置にあり、記録によれば、本陣は火災の後、享保より宝暦年間にかけて再興された。東西約40メートル、南北80メートルの矩形の敷地周囲に築地塀をめぐらし、御成門・通用門・主屋・蔵などを構え、主屋は南面に玄関・式台、奥に店の間・取次の間・台所、さらに御殿にあたる上段の間・次の間などを配する。蔵は主屋の西に南北2つあり、それぞれ寛永年間の棟札があるから、あるいは正徳の火災に焼け残ったとも考えられる。 主屋の北に、築地の仕切塀をへだてて、2棟の役所がある。奉行組同心の詰所と物置で、妹背家が地士頭の扱いをうけていたので、同心が駐在したものといわれ、延享3年の墨書が発見された。 このように、本陣・役所の建物の来歴が明らかであり、また本陣・地士・大庄屋を兼ねた総体の構えをよく遺存しているのは貴重である。よって、この本陣の旧敷地を指定する。 |
旧名手宿本陣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/10 10:25 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動旧名手宿本陣(きゅうなてじゅくほんじん)は和歌山県紀の川市にある歴史的建造物。旧名手本陣妹背家住宅(きゅうなてほんじんいもせけじゅうたく)の名称で主屋・米蔵・南倉の3棟が国の重要文化財に指定され、敷地を含めた全体が国の史跡に指定されている。華岡青洲夫人の加恵の実家としても知られる。
1630年(寛永7年)より名手の大庄屋を勤めた地士頭妹背家の邸宅。名手宿にあって大和街道に面していたため参勤交代時の本陣として定められ、名手本陣と称されていた。
現在の本陣は正徳の火災の後に、享保から宝暦年間にかけて再建されたものである。 主屋の西に2つある蔵は、寛永年間の棟札があることから、火災から焼け残った可能性も考えられている。
建物
- 御成門
- 通用門
- 主屋 - 玄関・式台、店の間・取次の間・台所、御殿(上段の間・次の間)
- 蔵
- 役所2棟(延享3年の墨書)
文化財
史跡(国指定)
- 旧名手宿本陣 - 1970年4月2日指定(指定基準:史6)、東西約40m、南北約80m
重要文化財
- 旧名手本陣妹背家住宅 3棟(1969年3月12日指定)
利用情報
- 入館無料
- 開館時間 - 10~16時
- 休館日 - 月曜
- 所在地 - 和歌山県紀の川市名手市場
交通アクセス
周辺情報
関連項目
外部リンク
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座標: 北緯34度16分32.8秒 東経135度26分9.0秒 / 北緯34.275778度 東経135.435833度
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