旧堺燈台
名称: | 旧堺燈台 |
ふりがな: | きゅうさかいとうだい |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 大阪府 |
市区町村: | 堺市大浜北町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1972.07.12(昭和47.07.12) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S43-12-010旧堺燈台.txt: 堺燈台は、明治10年9月、境港に出入する船舶のため、英人技師の建築指導のもと、高山保次郎らの私費により築造された現地にのこる日本最古の洋式木造燈台である。 明治16年当時、名代人は堺区大浜通四町正木林作で、燈台運用のため「人民共有名代人1名、灯明番2名」をおき、経費は「区内協議費」より支出し、堺区長がこれを管理したようである。燈明番の居住家屋は設けなかった。燈台の位置は、堺港中波止場、燈塔は木造六角白色で、燈火は緑色不動、燈器はフランスパリ製で、高さは基礎より約11メートルである。これらはすべて当初のままである。その後、燈台は敷地とともに大阪府有に移され、昭和24年、航路標識法により国有に移されることとなり、26年10月、正式に海上保安庁に移管された。しかし、堺臨海工業地帯の建設にともない、港湾事情が一変したので、昭和43年3月付で廃灯となった。 現在も、堺港の一角に、明治の建設当時の姿をそのままに伝えている。 |
旧堺燈台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 03:02 UTC 版)
旧堺燈台 | |
---|---|
![]() | |
位置 | 北緯34度35分0.55秒 東経135度27分32.39秒 / 北緯34.5834861度 東経135.4589972度座標: 北緯34度35分0.55秒 東経135度27分32.39秒 / 北緯34.5834861度 東経135.4589972度 |
所在地 | 大阪府堺市堺区大浜北町5丁 |
塔高 | 11.3 m (地上 - 塔頂) |
初点灯 | 1877年(明治10年) |
指定名 | 旧堺燈台 |
指定日 | 1972年7月12日 |
旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)は、大阪府堺市堺区大浜北町5丁にある木製洋式灯台跡である。現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして、国の史跡に指定されている。
概要
木製の六角形の灯台で、高さは11.3メートル。1877年(明治10年)に完成し、1968年(昭和43年)1月29日まで使用されていた。1972年(昭和47年)7月12日に国の史跡に指定された。
2005年(平成17年)から保存解体修理を行い、2007年(平成19年)3月に修理工事が終了。翌年に第28回大阪都市景観建築賞奨励賞を受賞[1]。
歴史
江戸時代の堺港の燈台の変遷については、『堺市史史料』に収められている「堺港燈台起源沿革等取調上申書」(『堺市史』第6巻に「堺港燈台起源沿革書」として掲載)に記録が残されている。これによると、堺港の燈台は、1689年(元禄2年)に初めて市中の商人の寄金で建築されて以降、1877年(明治10年)の洋式燈台まで7期にわたって、位置を変えながら新設されていったとされている。堺港は、特に1704年(宝永元年)の大和川付替え以降、土砂の流入などにより修築を繰り返し、それにあわせて、燈台も規模を大きくしながら位置を変えていった。このことは同時に、堺の町の発展を表すものであるといえる。
明治時代初期、堺港の改修事業に伴い、新しい灯台設置の必要性が高まった。そこで高山保次郎をはじめ、堺の有力者らは自ら基金を出し合い、当時の堺県からの補助金も受けて灯台を建設した。灯台の建設にはイギリス人技師指導のもと、堺の大工や石工も深く関わっている。
1877年(明治10年)に大波止(南突堤)の西端に灯台が完成し、同年9月15日から稼働した。当初の光源は石油ランプを使い、約18キロメートル先まで灯台の光が届いたとされている。
しかし時代が下り、1959年(昭和34年)から始まった堺泉北臨海工業地帯の埋め立てにより、徐々に灯台の役目を果たせなくなった。そのため灯台は1968年(昭和43年)に廃止され、90年の歴史に幕を閉じた。

備考
旧堺燈台は堺市のシンボルのひとつとされ、市内各所でモチーフとして使用されている。とりわけ堺区内には旧堺燈台をモチーフにした公衆電話ボックスや時計台があり、旧堺燈台をデザインしたマンホールが随所に見られる。1997年(平成9年)に開催されたなみはや国体を記念して、堺市内の和菓子製造業者らが共同で、旧堺燈台をかたどった「堺燈台もなか」を開発している。近年では海の日の前後の2日間で、市職員立会い(ガイド)の下で燈台内部の一般公開も行われている。
旧堺港の沿岸部はプロムナードとして整備され、大波止には詩人・伊東静雄の歌碑『燈台の光を見つつ』も建っている。また、2000年(平成12年)には、かつて大浜公園にあった龍女神像が小波止(北突堤)の波除住吉神社跡地に復元設置され、旧堺燈台とともにシンボルとなっている。なお、旧堺燈台の先代にあたる第6期の灯台(遥明台)は小波止に置かれていた。
-
旧堺燈台
-
旧堺燈台(夜景)
交通アクセス
脚注
- ^ “第28回 大阪まちなみ賞 受賞作品 -2008- (平成20年)”. 大阪都市景観建築賞運営委員会. 2021年2月21日閲覧。
外部リンク
- 旧堺燈台 -大浜のきのう・きょう・あす-(堺市立図書館サイト内)
- 大浜公園とその周辺の見どころ - 堺市ホームページ
固有名詞の分類
- 旧堺燈台のページへのリンク