大和街道とは? わかりやすく解説

奈良街道

(大和街道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 23:51 UTC 版)

奈良街道(ならかいどう)・大和街道(やまとかいどう)は、奈良県あるいは大和国に向かう街道の総称。歴史的理由からも地理的理由からも複数のルートが存在する。

京都府から奈良県

京都府から伏見を経て奈良に至る街道は、一般的に「奈良街道」あるいは「大和街道」と呼ばれる。奈良側からは「京街道」ともいうが大和国(奈良県)内の道のりが短いこともあり一般的ではない。京都・伏見間は山沿いの「伏見街道」と、平野部の「竹田街道」の2ルートがある。また、髭茶屋追分旧東海道三条街道)と分岐、山科盆地を南下し六地蔵から宇治・大久保に至る経路も「奈良街道」と言う。

大阪府から奈良県

竜田越

広義ではいくつかのルートが存在するが、いずれも「龍田」(現在の斑鳩町龍田、龍田神社付近)を経由する。

三重県から奈良県

関宿から伊賀上野を経由して奈良へ至る道を「大和街道」と言う。現在の国道25号および国道163号に相当する。

また、安濃津から伊賀街道・大和街道を経由して奈良へ通じる道を、かつては「伊賀越えならみち」「奈良道」と言った。現在では、五百野(津市美里町)で伊賀街道と分岐し、久居城下を経て月本追分(松阪市中林町)で伊勢街道と合流する区間が「奈良街道」と称される。

脚注

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参考文献

外部リンク


大和街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 07:42 UTC 版)

伏見街道」の記事における「大和街道」の解説

豊臣秀吉は、伏見に移るにあたり巨椋池新しい堤(小倉堤)を作り新しく伏見奈良の間に大和街道を開いたが、後年伏見以北のこの伏見街道にあたる部分も大和街道と呼ばれた江戸時代に京と伏見を結ぶ竹田街道開かれ明治に入るとこの竹田街道が大和街道とも呼ばれるようになった。元々は伏見街道一筋東に「大和大路」があり、南下して伏見山塊超え宇治川北岸宇治へ、さらに奈良へと通じていた。よって「奈良街道」とも呼ばれる。「大和大路」はなお東区内健在

※この「大和街道」の解説は、「伏見街道」の解説の一部です。
「大和街道」を含む「伏見街道」の記事については、「伏見街道」の概要を参照ください。

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