龍田大社とは? わかりやすく解説

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たつた‐たいしゃ【竜田大社】

読み方:たつたたいしゃ

奈良県生駒郡三郷(さんごう)町にある神社。旧官幣大社祭神天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)。鎮風・五穀豊穣の神として、古来信仰される竜田本宮俗に竜田風神とも。


たつたたいしゃ 【竜田大社】

奈良県生駒郡三郷町立野にある旧官幣大社祭神天御柱命国御柱命崇神天皇代からの由緒伝えている。広瀬神社大忌神)と共に竜田社は風神として尊信される。とくに農業漁業航海航空など風と関係のある職業の人たちの信仰が厚い。例祭四月四日のほか風鎮祭六月二八日−七月四日)が有名。→ 広瀬神社

竜田大社

読み方:タツタタイシャ(tatsutataisha)

別名 竜田明神

教団 神社本庁

所在 奈良県生駒郡三郷町

祭神 天御柱命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

龍田大社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 08:55 UTC 版)

龍田大社

拝殿
所在地 奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29-1
位置 北緯34度35分35.1秒 東経135度41分14.4秒 / 北緯34.593083度 東経135.687333度 / 34.593083; 135.687333 (龍田大社)座標: 北緯34度35分35.1秒 東経135度41分14.4秒 / 北緯34.593083度 東経135.687333度 / 34.593083; 135.687333 (龍田大社)
主祭神 天御柱命
国御柱命
社格 式内社名神大2座)
二十二社(中七社)
官幣大社
別表神社
創建 伝・第10代崇神天皇年間
本殿の様式 春日造
例祭 4月4日
主な神事 滝祭(4月3日
風鎮大祭(7月第1日曜日)
秋季大祭(10月第3土日曜日)
地図
龍田大社
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鳥居

龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町立野南にある神社式内社名神大社)、二十二社(中七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。旧称は「龍田神社」。の神(風神[1]として古くから信仰を集める。

祭神

祭神は次の2柱。

  • 天御柱命(あめのみはしらのみこと) - 右殿。
  • 国御柱命(くにのみはしらのみこと) - 左殿。

龍田の風神と総称され、広瀬水神と並び称された。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。

歴史

概史

延喜式祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。

国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では大和国平群郡に「龍田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大 月次新嘗」として、二座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭新嘗祭幣帛に預かった旨が記載されている。

明治維新後、1871年明治4年)に近代社格制度において「龍田神社」として官幣大社に列した。

1948年昭和23年)に神社本庁別表神社に加列されている。

2020年令和2年)6月に、龍田古道と亀の瀬と共に龍田大社が日本遺産に認定された。[2]

紅葉の名所としても有名である。摂社龍田比売社の祭神である龍田姫は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきた。

神階

主な祭事

  • 滝祭(4月3日
  • 風鎮大祭(7月第1日曜日)
  • 秋季大祭(10月第3土日曜日)

境内

飛び地

御座峰

崇神天皇のころに風神が降臨したとされる地。柏原市の雁多尾畑集落北の山中に「伝龍田本宮御座峰」と彫られた石碑が存在する。付近には製鉄の神を祀る金山彦神社、金山姫神社が鎮座しており、金山姫神社に記された略記には「製鉄に関連のある風神を祀った御座峰が伝承されている」といった記述がある[2]。製鉄の神の風神と農業の神である風神という異なる風神が権力者によって一つに合体されたという説も存在する[2]

  • 三室山
  • 龍田神宮本宮跡
  • 岩瀬の杜

文化財

重要文化財

  • 宝相華彩絵奚婁鼓胴(ほうそうげさいえ けいろうこどう)(工芸品) - 平安時代の作。1995年平成7年)6月15日指定[3]

現存しない文化財

  • 多宝塔 - 「大和名所圖會」寛政3年(1791年)や、「壬申検査関係写真」(1872年明治5年))から多宝塔が確認できるが現存しない。形状は吉田寺多宝塔に酷似する。

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ a b 『奈良点描』清文堂出版、1983年、13-23頁。 
  3. ^ 宝相華彩絵奚婁鼓胴 - 国指定文化財等データベース(文化庁

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関連項目

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