平高望
(高望王 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 04:33 UTC 版)
平 高望(たいら の たかもち)は、平安時代中期の賜姓皇族。高望王とも。桓武天皇の孫(もしくは曾孫)にあたり、高望王流桓武平氏の祖。官位は従五位下・正親正・上総介。
- ^ 生年月日は、延暦25年/大同元年(806年)(『宇賀一族の研究と系譜』『南路志』)と、承和6年9月7日(839年10月21日)(『千葉大系図』)と、嘉承3年(850年)2月18日(『千馬家系図』)とする資料がある。
- ^ a b 没年月日は、延喜11年5月24日(911年6月28日)(『千葉大系図』)と、延喜11年(911年)5月4日(『平姓葛西系図』)、延喜12年(912年)9月24日(『盛岡葛西系図』)、延喜17年(917年)1月24日(『千馬系図』)とする資料がある。
- ^ (または藤原師世)
- ^ (又は良孫)
- ^ (又は良村。良将と同人ともされる)
- ^ (良茂の子とも)
- ^ a b 父は高見王(葛原親王の子)との説と、葛原親王(桓武天皇第 5皇子)との説がある。『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『桓武平氏系図』(続群書類従所収)等の各種系図では高見王の子となっているが、高見王の実在には疑問が提示されている。
- ^ 『宇賀一族の研究と系譜』『南路志』によると、貞観3年(861年)に高望王は清和天皇の勅命で平朝臣を賜与され臣籍降下したとする。
- ^ 『神皇正統録』
- ^ 『源平盛衰記』
- ^ 『平家勘文禄』では寛平2年とする。
- ^ 『秩父慈光寺栄朝大禅師系図』
- ^ 『系図纂要』
- ^ 『三浦伝記』
- ^ 高望の各息子の生母にはいくつかの説があり、正確なことははっきりしない。
- 1 平高望とは
- 2 平高望の概要
高望王と同じ種類の言葉
- 高望王のページへのリンク