藤原為憲とは? わかりやすく解説

藤原為憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 10:24 UTC 版)

 
藤原 為憲
『英雄百首』(歌川貞秀画)
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 工藤大夫
官位 従五位下遠江権守
主君 朱雀天皇
氏族 藤原南家乙麻呂工藤氏
父母 父:藤原維幾、母:高望王の娘
秦氏の娘など。
諸説あり定まらず[1]
テンプレートを表示

藤原 為憲(ふじわら の ためのり)は、平安時代中期の貴族武将藤原南家乙麻呂流、常陸介・藤原維幾の子。官位従五位下遠江権守。工藤大夫を号し、工藤氏の祖となる。平将門平貞盛の従兄弟にもあたる。

経歴

天慶2年(939年)、常陸国における平将門との紛争に敗れた為憲は、母方の従兄・平貞盛と共に度々の将門の探索をかわしながら潜伏する。天慶3年(940年)2月、「新皇」を僭称した将門の追討に官軍大将の一人として貞盛・藤原秀郷と協力して将門と戦い征伐に成功し、先に将門に襲撃され抑留されていた父・維幾を救援した(承平天慶の乱)。将門追討の恩賞として従五位下に叙爵、木工助(宮内省の宮殿造営職である木工寮の次官)に就任。藤原の藤と木工の工を合わせ工藤姓を興す。家紋「庵木瓜」の創始者。伊豆国駿河国甲斐国遠江国の権守を歴任。

工藤氏からは、伊東氏伊藤氏吉川氏、鮫島氏、二階堂氏相良氏などが派生し、また子孫に工藤茂光工藤祐経などを輩出した。

系譜

脚注

  1. ^ 系図によって、工藤時理の前に為時と時頼の2代を挟むもの、挟まぬものがあり、時理は為憲の子または孫または曾孫。
    田代政鬴国立国会図書館デジタルコレクション 新訳求麻外史』求麻外史発行所、1917年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959084/20 国立国会図書館デジタルコレクション 

登場作品

テレビドラマ

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原為憲」の関連用語

藤原為憲のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原為憲のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原為憲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS