顕真とは? わかりやすく解説

けんしん 【顕真】


顕真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:41 UTC 版)

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顕真(けんしん、天承元年(1131年)- 建久3年11月14日1192年12月20日))は、平安時代後期の天台宗。号は宣陽房。父は右衛門権佐藤原顕能。母参議藤原為隆娘。

比叡山で天台教学・密教を学んだあと、1173年承安3年)大原別所に隠棲した。浄土信仰へ傾き1186年文治2年)勝林院法然重源貞慶明遍・証真らの碩学を集めて大原問答を行ったとされるが、参加者については異説もある。翌1187年(文治3年)勝林院で不断念仏をはじめ、1190年(建久元年)には第61代天台座主に就任した。最勝会(『金光明最勝王経』を講じ、国家の安泰を祈願する勅会)の証義もつとめている。1192年(建久3年)、比叡山円融房で没した。




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