常胤法親王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 常胤法親王の意味・解説 

常胤法親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 06:18 UTC 版)

常胤法親王(じょういんほっしんのう、天文17年3月9日1548年4月17日) - 元和7年6月11日1621年7月29日))は、安土桃山時代後期から江戸時代前期の法親王伏見宮邦輔親王の第4王子。正親町天皇猶子。母は万里小路惟房の娘。妙法院門跡天台座主方広寺京の大仏別当妙法院宮。雲龍院宮。

生涯

永禄7年(1564年)、京都妙法院で出家。門跡となり妙法院宮といわれる。正親町天皇猶子となり、天正3年(1575年)に親王宣下を受ける。慶長2年(1597年)、第168代天台座主となる。雲龍院門主にもなる。慶長19年(1614年)には、京都方広寺大仏鐘名事件により、方広寺別当の照高院興意法親王の後をうけ、大仏を兼管し別当職についた。豊臣家滅亡後の元和2年(1616年)、妙法院門主であった常胤は豊国社より豊臣秀吉の遺品等を押領(「豊公遺宝図略」)。そのまま、、徳川家康より豊国社や神宮寺(豊国社別当神龍院梵舜の役宅)は妙法院に引き渡された。

元和7年(1621年)6月11日薨去、74歳。墓所は妙法院宮墓地。

人物

歌道に達し、また茶の湯古田織部に学んだ茶人でもある。

参考文献

  • 末宗廣編『茶人系譜』河原書店、1977年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  常胤法親王のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「常胤法親王」の関連用語

常胤法親王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



常胤法親王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの常胤法親王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS