めい‐かい〔‐クワイ〕【明快】
明快
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/23 05:58 UTC 版)
明快(みょうかい、永延元年(987年)[1] - 延久2年3月18日(1070年5月1日)[2])は、平安時代中期の天台宗の僧侶。通称は梨本僧正。藤原魚名の子孫で、父は文章生の藤原俊家とも藤原俊宗ともされる[3]。天台座主や大僧正に任じられた。
生涯
幼くして延暦寺に入り、明豪・皇慶・慶命らに顕教・密教を学ぶ。後に東塔の円融房(梶井殿)に住んだことから、「梨本僧正」と呼ばれた。長暦元年(1037年)、後朱雀天皇の護持僧として権律師に任じられ、長久4年(1043年)に権少僧都に進み、永承4年(1049年)に四天王寺別当、永承5年(1050年)に権大僧都、永承7年(1052年)に法性寺座主となる。天喜元年(1053年)には第32代の天台座主となり、法成寺別当と恵心院検校を兼ねた。天喜2年(1054年)には大僧都に進み、法印とされた。天喜3年(1055年)には僧正に任じられ、康平3年(1060年)に大僧正となった。治暦元年(1065年)に大僧正を辞する。
後朱雀・後冷泉の2代の天皇や上東門院に仕え[4]、藤原頼通の正室である源隆姫の戒師を務める[3]など、皇室や摂関家からの信頼が厚かった。弟子に覚尋・良真・仁覚・仁豪らがいる。
脚注
- ^ 異説に寛和元年(985年)説(『日本仏教人名辞典』)。
- ^ 異説に治暦2年(1066年)・延久3年(1071年)説がある(『平安時代史事典』)。
- ^ a b 塩入『平安時代史事典』
- ^ 佐々木『日本仏教史辞典』
参考文献
- 佐々木令信「明快」(『日本仏教史辞典』(吉川弘文館、1999年)ISBN 4-642-01334-2)
- 塩入良道「明快」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)
- 日本仏教人名辞典編纂委員会 編『日本仏教人名辞典』(法蔵館、1992年) ISBN 978-4-8318-7007-0
関連項目
「明快」の例文・使い方・用例・文例
- 彼女の発表は明快でわかりやすかった
- 先生はその理論を明快に説明した
- この記事は、発癌がどのように起きるかを明快に説明している。
- 彼のプレゼンテーションはその明快さで定評がある。
- 単純明快な戦略です。
- 私はその問題の本質についてさらに明快な見解を抱く。
- あなたは明快な説明をありがとう。
- あなたは明快に説明していただき、ありがとうございます。
- その実験からは明快な結果は発見されませんでした。
- 明快な説明.
- 明快な答え.
- 質問に対する彼女の答えは実に明快だった.
- 明快に説く
- 明快に答弁した
- 正気または明快なさまの
- 本を明快に最後まで読む
- 明確で明快な方法で
- これは明快に書かれた本である
- 明快、より明快そして正確にする
- 明快なスタイルで書く
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