明応地震とは? わかりやすく解説

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めいおう‐じしん〔‐ヂシン〕【明応地震】


明応地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 09:17 UTC 版)

明応地震(めいおうじしん)は、室町時代後期(戦国時代初期)の西暦1498年9月20日[注 1](明応7年8月25日)に日本で発生した大地震である[3]南海トラフ沿いの巨大地震南海トラフ巨大地震)と推定されている[注 2]明応東海地震(めいおうとうかいじしん)とも呼ばれている[5][6][7]


注釈

  1. ^ グレゴリオ暦換算。『理科年表』『日本被害地震総覧』『地震の事典』『大日本地震史料』『新収地震史料』など数多くの文献が、1582年以前の地震に付いてもグレゴリオ暦換算の西暦で表記されている。歴史地震研究会は1582年以前の地震はユリウス暦換算の表記を推奨している。
  2. ^ 被害の記録から、東海・東南海・南海の3つの地震がほぼ同時に発生した、三連動地震であったと考えられている。
  3. ^ 歴史地震の震央は震度分布により一応は推定されている(河角, 1951など)。しかし、断層破壊開始点である本来の震源、その地表投影である震央ではない。地震学的な震源は地震計が無ければ決まらず、震源域が広大な巨大地震では無意味な上誤解を与える恐れがある。-石橋(2014), pp.7-8.
  4. ^ 信玄の父の信虎の代に溯るともされる(『日本の貨幣-収集の手引き-』改訂、2010年、p41.)。しかし、明応七年は信虎も数え年で5歳となる。
  5. ^ 鎌倉の津波記録が記述通り明応四年ならば、明応七年の地震による津波ではないことになる。
  6. ^ 伊勢神宮に献上する熨斗あわびで知られる。
  7. ^ 相模トラフ沿いの巨大地震とする説の他、伊勢原断層の地震とする説もあり確定的でない。
  8. ^ 地震から約400年後の明治20年(1887年)に書かれたものであり、より古い確かな史料が求められる。(石橋(2014), 注p20.

出典

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